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少年(しょうねん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-16 9:27:03  点击:  切换到繁體中文


     五 幻燈

「このランプへこう火をつけて頂きます。」
 玩具屋おもちゃやの主人は金属製のランプへ黄色いマッチの火をともした。それから幻燈げんとううしろの戸をあけ、そっとそのランプを器械の中へ移した。七歳しちさい保吉やすきちは息もつかずに、テエブルの前へ及び腰になった主人の手もとを眺めている。綺麗きれいに髪を左から分けた、妙に色の蒼白い主人の手もとを眺めている。時間はやっと三時頃であろう。玩具屋の外の硝子ガラス戸は一ぱいに当った日の光りの中に絶え間のない人通りをうつしている。が、玩具屋の店の中は――殊にこの玩具の空箱あきばこなどを無造作むぞうさに積み上げた店の隅は日の暮の薄暗さと変りはない。保吉はここへ来た時に何か気味悪さに近いものを感じた。しかし今は幻燈に――幻燈を映して見せる主人にあらゆる感情を忘れている。いや、彼の後ろに立った父の存在さえ忘れている。
「ランプを入れて頂きますと、あちらへああ月が出ますから、――」
 やっと腰を起した主人は保吉と云うよりもむしろ父へ向うの白壁しらかべを指し示した。幻燈はその白壁の上へちょうど差渡さしわたし三尺ばかりの光りの円をえがいている。柔かに黄ばんだ光りの円はなるほど月に似ているかも知れない。が、白壁の蜘蛛くもの巣やほこりもそこだけはありありと目に見えている。
「こちらへこうをさすのですな。」
 かたりと云う音の聞えたと思うと、光りの円はいつのまにかぼんやりと何か映している。保吉は金属の熱するにおいに一層好奇心を刺戟しげきされながら、じっとその何かへ目を注いだ。何か、――まだそこに映ったものは風景か人物かも判然しない。ただわずかに見分けられるのははかない石鹸玉しゃぼんだまに似た色彩である。いや、色彩の似たばかりではない。この白壁に映っているのはそれ自身大きい石鹸玉である。夢のようにどこからかただよって来た薄明りの中の石鹸玉である。
「あのぼんやりしているのはレンズのピントを合せさえすれば――この前にあるレンズですな。――すぐに御覧の通りはっきりなります。」
 主人はもう一度及び腰になった。と同時に石鹸玉は見る見る一枚の風景画に変った。もっとも日本の風景画ではない。水路の両側に家々のそびえたどこか西洋の風景画である。時刻はもう日の暮に近い頃であろう。三日月みかづきは右手の家々の空にかすかに光りを放っている。その三日月も、家々も、家々の窓の薔薇ばらの花も、ひっそりとたたえた水の上へあざやかに影を落している。人影は勿論、見渡したところかもめ一羽浮んでいない。水はただ突当つきあたりの橋の下へまっ直に一すじつづいている。
「イタリヤのベニスの風景でございます。」
 三十年後の保吉にヴェネチアの魅力を教えたのはダンヌンチオの小説である。けれども当時の保吉はこの家々だの水路だのにただたよりのない寂しさを感じた。彼の愛する風景は大きい丹塗にぬりの観音堂かんのんどうの前に無数のはとの飛ぶ浅草あさくさである。あるいはまた高い時計台の下に鉄道馬車の通る銀座である。それらの風景に比べると、この家々だの水路だのは何と云う寂しさに満ちているのであろう。鉄道馬車や鳩は見えずともい。せめては向うの橋の上に一列の汽車でもとおっていたら、――ちょうどこう思った途端とたんである。大きいリボンをした少女が一人、右手に並んだ窓の一つから突然小さい顔を出した。どの窓かははっきり覚えていない。しかし大体三日月の下の窓だったことだけは確かである。少女は顔を出したと思うと、さらにその顔をこちらへ向けた。それから――遠目とおめにも愛くるしい顔に疑う余地のない頬笑ほほえみを浮かべた? が、それはのない一二秒の間の出来ごとである。思わず「おや」と目を見はった時には、少女はもういつのまにか窓の中へ姿を隠したのであろう。窓はどの窓も同じように人気ひとけのない窓かけをらしている。……
「さあ、もううつしかたはわかったろう?」
 父の言葉は茫然とした彼を現実の世界へ呼び戻した。父は葉巻をくわえたまま、退屈たいくつそうに後ろにたたずんでいる。玩具屋おもちゃやの外の往来も不相変あいかわらず人通りを絶たないらしい。主人も――綺麗に髪を分けた主人は小手調こてしらべをすませた手品師てじなしのように、妙な蒼白いほおのあたりへ満足の微笑を漂わせている。保吉は急にこの幻燈を一刻も早く彼の部屋へ持って帰りたいと思い出した。……
 保吉はその晩父と一しょにろうを引いた布の上へ、もう一度ヴェネチアの風景を映した。中空ちゅうくうの三日月、両側の家々、家々の窓の薔薇ばらの花を映した一すじの水路の水の光り、――それは皆前に見た通りである。が、あの愛くるしい少女だけはどうしたのか今度は顔を出さない。窓と云う窓はいつまで待っても、だらりと下った窓かけのうしろに家々の秘密を封じている。保吉はとうとう待ち遠しさに堪えかね、ランプの具合などを気にしていた父へ歎願たんがんするように話しかけた。
「あの女の子はどうして出ないの?」
「女の子? どこかに女の子がいるのかい?」
 父は保吉の問の意味さえ、はっきりわからない様子である。
「ううん、いはしないけれども、顔だけ窓から出したじゃないの?」
「いつさ?」
「玩具屋の壁へ映した時に。」
「あの時も女の子なんぞは出やしないさ。」
「だって顔を出したのが見えたんだもの。」
「何を云っている?」
 父は何と思ったか保吉の額へ手のひらをやった。それから急に保吉にもつけ景気とわかる大声を出した。
「さあ、今度は何を映そう?」
 けれども保吉は耳にもかけず、ヴェネチアの風景を眺めつづけた。窓は薄明るい水路の水に静かな窓かけを映している。しかしいつかはどこかの窓から、大きいリボンをした少女が一人、突然顔を出さぬものでもない。――彼はこう考えると、名状の出来ぬなつかしさを感じた。同時に従来知らなかったある嬉しい悲しさをも感じた。あのの幻燈の中にちらりと顔を出した少女は実際何か超自然ちょうしぜんの霊が彼の目に姿を現わしたのであろうか? あるいはまた少年に起り易い幻覚げんかくの一種に過ぎなかったのであろうか? それは勿論彼自身にも解決出来ないのに違いない。が、とにかく保吉は三十年後の今日こんにちさえ、しみじみ塵労じんろうに疲れた時にはこの永久に帰って来ないヴェネチアの少女を思い出している、ちょうど何年も顔をみない初恋の女人にょにんでも思い出すように。

     六 お母さん

 八歳か九歳くさいの時か、とにかくどちらかの秋である。陸軍大将の川島かわしま回向院えこういんぼとけ石壇いしだんの前にたたずみながら、かたの軍隊を検閲けんえつした。もっとも軍隊とは云うものの、味かたは保吉やすきちとも四人しかいない。それも金釦きんボタンの制服を着た保吉一人を例外に、あとはことごとく紺飛白こんがすりくらじま筒袖つつそでを着ているのである。
 これは勿論国技館の影の境内けいだいに落ちる回向院ではない。まだ野分のわきの朝などには鼠小僧ねずみこぞうの墓のあたりにも銀杏落葉いちょうおちばの山の出来る二昔前ふたむかしまえの回向院である。妙にひなびた当時の景色――江戸と云うよりも江戸のはずれの本所ほんじょと云う当時の景色はとうの昔に消え去ってしまった。しかしただはとだけは同じことである。いや、鳩も違っているかも知れない。その日も濡れ仏の石壇のまわりはほとんど鳩で一ぱいだった。が、どの鳩も今日こんにちのように小綺麗こぎれいに見えはしなかったらしい。「門前の土鳩どばとを友や樒売しきみうり」――こう云う天保てんぽうの俳人の作は必ずしも回向院の樒売しきみうりをうたったものとは限らないであろう。それとも保吉はこの句さえ見れば、いつも濡れ仏の石壇のまわりにごみごみ群がっていた鳩を、――のどの奥にこもる声に薄日の光りをふるわせていた鳩を思い出さずにはいられないのである。
 鑢屋やすりやの子の川島は悠々と検閲を終ったのち、目くら縞の懐ろからナイフだのパチンコだのゴムまりだのと一しょに一束ひとたば画札えふだを取り出した。これは駄菓子屋だがしやに売っている行軍将棋こうぐんしょうぎの画札である。川島は彼等に一枚ずつその画札を渡しながら、四人の部下を任命(?)した。ここにその任命を公表すれば、桶屋おけやの子の平松ひらまつは陸軍少将、巡査の子の田宮たみやは陸軍大尉、小間物こまもの屋の子の小栗おぐりはただの工兵こうへい堀川保吉ほりかわやすきち地雷火じらいかである。地雷火は悪い役ではない。ただ工兵にさえ出合わなければ、大将をもとりこに出来る役である。保吉は勿論もちろん得意だった。が、まろまろとふとった小栗は任命の終るか終らないのに、工兵になる不平を訴え出した。
「工兵じゃつまらないなあ。よう、川島さん。あたいも地雷火にしておくれよ、よう。」
「お前はいつだって俘になるじゃないか?」
 川島は真顔まがおにたしなめた。けれども小栗はまっ赤になりながら、少しもひるまずに云い返した。
「嘘をついていらあ。この前に大将をとりこにしたのだってあたいじゃないか?」
「そうか? じゃこの次には大尉にしてやる。」
 川島はにやりと笑ったと思うと、たちまち小栗を懐柔かいじゅうした。保吉はいまだにこの少年の悪智慧わるぢえの鋭さに驚いている。川島は小学校も終らないうちに、熱病のために死んでしまった。が、万一死なずにいた上、幸いにも教育を受けなかったとすれば、少くとも今は年少気鋭の市会議員か何かになっていたはずである。……
「開戦!」
 この時こう云う声を挙げたのは表門おもてもんの前に陣取った、やはり四五人の敵軍である。敵軍はきょうも弁護士の子の松本まつもとを大将にしているらしい。紺飛白こんがすりの胸に赤シャツを出した、髪の毛を分けた松本は開戦の合図あいずをするためか、高だかと学校帽をふりまわしている。
「開戦!」
 画札えふだを握った保吉は川島の号令のかかると共に、誰よりも先へ吶喊とっかんした。同時にまた静かに群がっていた鳩はおびただしい羽音はおとを立てながら、大まわりになかぞらへ舞い上った。それから――それからは未曾有みぞうの激戦である。硝煙しょうえんは見る見る山をなし、敵の砲弾は雨のように彼等のまわりへ爆発した。しかしかたは勇敢にじりじり敵陣へ肉薄にくはくした。もっとも敵の地雷火じらいかすさまじい火柱ひばしらをあげるが早いか、味かたの少将を粉微塵こなみじんにした。が、敵軍も大佐を失い、その次にはまた保吉の恐れる唯一の工兵を失ってしまった。これを見た味かたは今までよりも一層猛烈に攻撃をつづけた。――と云うのは勿論事実ではない。ただ保吉の空想に映じた回向院えこういんの激戦の光景である。けれども彼は落葉だけ明るい、ものびた境内けいだいけまわりながら、ありありと硝煙のにおいを感じ、飛び違う砲火のひらめきを感じた。いや、ある時は大地の底に爆発の機会を待っている地雷火の心さえ感じたものである。こう云う溌剌はつらつとした空想は中学校へはいったのち、いつのまにか彼を見離してしまった。今日こんにちの彼はいくさごっこの中に旅順港りょじゅんこうの激戦を見ないばかりではない、むしろ旅順港の激戦の中にも戦ごっこを見ているばかりである。しかし追憶ついおくは幸いにも少年時代へ彼を呼び返した。彼はまず何をいても、当時の空想を再びする無上の快楽を捉えなければならぬ。――
 硝煙は見る見る山をなし、敵の砲弾は雨のように彼等のまわりへ爆発した。保吉はその中を一文字いちもんじに敵の大将へ飛びかかった。敵の大将は身をかわすと、一散に陣地へ逃げこもうとした。保吉はそれへ追いすがった。と思うと石につまずいたのか、仰向あおむけにそこへころんでしまった。同時にまた勇ましい空想も石鹸玉しゃぼんだまのように消えてしまった。もう彼は光栄に満ちた一瞬間前の地雷火ではない。顔は一面に鼻血にまみれ、ズボンの膝は大穴のあいた、帽子ぼうしも何もない少年である。彼はやっと立ち上ると、思わず大声に泣きはじめた。敵味方の少年はこの騒ぎにせっかくの激戦も中止したまま、保吉のまわりへ集まったらしい。「やあ、負傷した」と云うものもある。「仰向けにおなりよ」と云うものもある。「おいらのせいじゃなあい」と云うものもある。が、保吉は痛みよりも名状の出来ぬ悲しさのために、二の腕に顔を隠したなり、いよいよ懸命に泣きつづけた。すると突然耳もとに嘲笑ちょうしょうの声を挙げたのは陸軍大将の川島である。
「やあい、お母さんて泣いていやがる!」
 川島の言葉はたちまちのうちに敵味方の言葉を笑い声に変じた。殊に大声に笑い出したのは地雷火になりそこなった小栗である。
可笑おかしいな。お母さんて泣いていやがる!」
 けれども保吉は泣いたにもせよ、「お母さん」などと云った覚えはない。それを云ったようにいるのはいつもの川島の意地悪である。――こう思った彼は悲しさにも増した口惜くやしさに一ぱいになったまま、さらにまたふるえ泣きに泣きはじめた。しかしもう意気地いくじのない彼には誰一人好意を示すものはいない。のみならず彼等は口々に川島の言葉を真似まねしながら、ちりぢりにどこかへけ出して行った。
「やあい、お母さんって泣いていやがる!」
 保吉は次第に遠ざかる彼等の声を憎み憎み、いつかまた彼の足もとへ下りた無数の鳩にも目をやらずに、永い間すすり泣きをやめなかった。
 保吉は爾来じらいこの「お母さん」を全然川島の発明した※(「言+虚」、第4水準2-88-74)うそとばかり信じていた。ところがちょうど三年以前、上海シャンハイへ上陸すると同時に、東京から持ち越したインフルエンザのためにある病院へはいることになった。熱は病院へはいったのちも容易に彼を離れなかった。彼は白い寝台しんだいの上に朦朧もうろうとした目を開いたまま、蒙古もうこの春を運んで来る黄沙こうさすさまじさを眺めたりしていた。するとある蒸暑むしあつい午後、小説を読んでいた看護婦は突然椅子いすを離れると、寝台の側へ歩み寄りながら、不思議そうに彼の顔をのぞきこんだ。
「あら、お目覚になっていらっしゃるんですか?」
「どうして?」
「だって今お母さんって仰有おっしゃったじゃありませんか?」
 保吉はこの言葉を聞くが早いか、回向院えこういん境内けいだいを思い出した。川島もあるいは意地の悪い※(「言+虚」、第4水準2-88-74)をついたのではなかったかも知れない。

(大正十三年四月)




 



底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
   1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月8日公開
2004年3月9日修正
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