三 死
これもその頃の話である。晩酌の膳に向った父は六兵衛の盞を手にしたまま、何かの拍子にこう云った。
「とうとうお目出度なったそうだな、ほら、あの槙町の二弦琴の師匠も。……」
ランプの光は鮮かに黒塗りの膳の上を照らしている。こう云う時の膳の上ほど、美しい色彩に溢れたものはない。保吉は未だに食物の色彩――
脯だの焼海苔だの酢蠣だの辣薑だのの色彩を愛している。もっとも当時愛したのはそれほど品の好い色彩ではない。むしろ悪どい刺戟に富んだ、生なましい色彩ばかりである。彼はその晩も膳の前に、一掴みの海髪を枕にしためじの刺身を見守っていた。すると微醺を帯びた父は彼の芸術的感興をも物質的欲望と解釈したのであろう。象牙の箸をとり上げたと思うと、わざと彼の鼻の上へ醤油の匂のする刺身を出した。彼は勿論一口に食った。それから感謝の意を表するため、こう父へ話しかけた。
「さっきはよそのお師匠さん、今度は僕がお目出度なった!」
父は勿論、母や伯母も一時にどっと笑い出した。が、必ずしもその笑いは機智に富んだ彼の答を了解したためばかりでもないようである。この疑問は彼の自尊心に多少の不快を感じさせた。けれども父を笑わせたのはとにかく大手柄には違いない。かつまた家中を陽気にしたのもそれ自身甚だ愉快である。保吉はたちまち父と一しょに出来るだけ大声に笑い出した。
すると笑い声の静まった後、父はまだ微笑を浮べたまま、大きい手に保吉の頸すじをたたいた。
「お目出度なると云うことはね、死んでしまうと云うことだよ。」
あらゆる答は鋤のように問の根を断ってしまうものではない。むしろ古い問の代りに新らしい問を芽ぐませる木鋏の役にしか立たぬものである。三十年前の保吉も三十年後の保吉のように、やっと答を得たと思うと、今度はそのまた答の中に新しい問を発見した。
「死んでしまうって、どうすること?」
「死んでしまうと云うことはね、ほら、お前は蟻を殺すだろう。……」
父は気の毒にも丹念に死と云うものを説明し出した。が、父の説明も少年の論理を固守する彼には少しも満足を与えなかった。なるほど彼に殺された蟻の走らないことだけは確かである。けれどもあれは死んだのではない。ただ彼に殺されたのである。死んだ蟻と云う以上は格別彼に殺されずとも、じっと走らずにいる蟻でなければならぬ。そう云う蟻には石燈籠の下や冬青の木の根もとにも出合った覚えはない。しかし父はどう云う訣か、全然この差別を無視している。……
「殺された蟻は死んでしまったのさ。」
「殺されたのは殺されただけじゃないの?」
「殺されたのも死んだのも同じことさ。」
「だって殺されたのは殺されたって云うもの。」
「云っても何でも同じことなんだよ。」
「違う。違う。殺されたのと死んだのとは同じじゃない。」
「莫迦、何と云うわからないやつだ。」
父に叱られた保吉の泣き出してしまったのは勿論である。が、いかに叱られたにしろ、わからないことのわかる道理はない。彼はその後数箇月の間、ちょうどひとかどの哲学者のように死と云う問題を考えつづけた。死は不可解そのものである。殺された蟻は死んだ蟻ではない。それにも関らず死んだ蟻である。このくらい秘密の魅力に富んだ、掴え所のない問題はない。保吉は死を考える度に、ある日回向院の境内に見かけた二匹の犬を思い出した。あの犬は入り日の光の中に反対の方角へ顔を向けたまま、一匹のようにじっとしていた。のみならず妙に厳粛だった。死と云うものもあの二匹の犬と何か似た所を持っているのかも知れない。……
するとある火ともし頃である。保吉は役所から帰った父と、薄暗い風呂にはいっていた。はいっていたとは云うものの、体などを洗っていたのではない。ただ胸ほどある据え風呂の中に恐る恐る立ったなり、白い三角帆を張った帆前船の処女航海をさせていたのである。そこへ客か何か来たのであろう、鶴よりも年上の女中が一人、湯気の立ちこめた硝子障子をあけると、石鹸だらけになっていた父へ旦那様何とかと声をかけた。父は海綿を使ったまま、「よし、今行く」と返事をした。それからまた保吉へ顔を見せながら、「お前はまだはいってお出。今お母さんがはいるから」と云った。勿論父のいないことは格別帆前船の処女航海に差支えを生ずる次第でもない。保吉はちょっと父を見たぎり、「うん」と素直に返事をした。
父は体を拭いてしまうと、濡れ手拭を肩にかけながら、「どっこいしょ」と太い腰を起した。保吉はそれでも頓着せずに帆前船の三角帆を直していた。が、硝子障子のあいた音にもう一度ふと目を挙げると、父はちょうど湯気の中に裸の背中を見せたまま、風呂場の向うへ出る所だった。父の髪はまだ白い訣ではない。腰も若いもののようにまっ直である。しかしそう云う後ろ姿はなぜか四歳の保吉の心にしみじみと寂しさを感じさせた。「お父さん」――一瞬間帆前船を忘れた彼は思わずそう呼びかけようとした。けれども二度目の硝子戸の音は静かに父の姿を隠してしまった。あとにはただ湯の匂に満ちた薄明りの広がっているばかりである。
保吉はひっそりした据え風呂の中に茫然と大きい目を開いた。同時に従来不可解だった死と云うものを発見した。――死とはつまり父の姿の永久に消えてしまうことである!
四 海
保吉の海を知ったのは五歳か六歳の頃である。もっとも海とは云うものの、万里の大洋を知ったのではない。ただ大森の海岸に狭苦しい東京湾を知ったのである。しかし狭苦しい東京湾も当時の保吉には驚異だった。奈良朝の歌人は海に寄せる恋を「大船の香取の海に碇おろしいかなる人かもの思わざらん」と歌った。保吉は勿論恋も知らず、万葉集の歌などと云うものはなおさら一つも知らなかった。が、日の光りに煙った海の何か妙にもの悲しい神秘を感じさせたのは事実である。彼は海へ張り出した葭簾張りの茶屋の手すりにいつまでも海を眺めつづけた。海は白じろと赫いた帆かけ船を何艘も浮かべている。長い煙を空へ引いた二本マストの汽船も浮かべている。翼の長い一群の鴎はちょうど猫のように啼きかわしながら、海面を斜めに飛んで行った。あの船や鴎はどこから来、どこへ行ってしまうのであろう? 海はただ幾重かの海苔粗朶の向うに青あおと煙っているばかりである。……
けれども海の不可思議を一層鮮かに感じたのは裸になった父や叔父と遠浅の渚へ下りた時である。保吉は初め砂の上へ静かに寄せて来るさざ波を怖れた。が、それは父や叔父と海の中へはいりかけたほんの二三分の感情だった。その後の彼はさざ波は勿論、あらゆる海の幸を享楽した。茶屋の手すりに眺めていた海はどこか見知らぬ顔のように、珍らしいと同時に無気味だった。――しかし干潟に立って見る海は大きい玩具箱と同じことである。玩具箱! 彼は実際神のように海と云う世界を玩具にした。蟹や寄生貝は眩ゆい干潟を右往左往に歩いている。浪は今彼の前へ一ふさの海草を運んで来た。あの喇叭に似ているのもやはり法螺貝と云うのであろうか? この砂の中に隠れているのは浅蜊と云う貝に違いない。……
保吉の享楽は壮大だった。けれどもこう云う享楽の中にも多少の寂しさのなかった訣ではない。彼は従来海の色を青いものと信じていた。両国の「大平」に売っている月耕や年方の錦絵をはじめ、当時流行の石版画の海はいずれも同じようにまっ青だった。殊に縁日の「からくり」の見せる黄海の海戦の光景などは黄海と云うのにも関らず、毒々しいほど青い浪に白い浪がしらを躍らせていた。しかし目前の海の色は――なるほど目前の海の色も沖だけは青あおと煙っている。が、渚に近い海は少しも青い色を帯びていない。正にぬかるみのたまり水と選ぶ所のない泥色をしている。いや、ぬかるみのたまり水よりも一層鮮かな代赭色をしている。彼はこの代赭色の海に予期を裏切られた寂しさを感じた。しかしまた同時に勇敢にも残酷な現実を承認した。海を青いと考えるのは沖だけ見た大人の誤りである。これは誰でも彼のように海水浴をしさえすれば、異存のない真理に違いない。海は実は代赭色をしている。バケツの錆に似た代赭色をしている。
三十年前の保吉の態度は三十年後の保吉にもそのまま当嵌る態度である。代赭色の海を承認するのは一刻も早いのに越したことはない。かつまたこの代赭色の海を青い海に変えようとするのは所詮徒労に畢るだけである。それよりも代赭色の海の渚に美しい貝を発見しよう。海もそのうちには沖のように一面に青あおとなるかも知れない。が、将来に
れるよりもむしろ現在に安住しよう。――保吉は予言者的精神に富んだ二三の友人を尊敬しながら、しかもなお心の一番底には不相変ひとりこう思っている。
大森の海から帰った後、母はどこかへ行った帰りに「日本昔噺」の中にある「浦島太郎」を買って来てくれた。こう云うお伽噺を読んで貰うことの楽しみだったのは勿論である。が、彼はそのほかにももう一つ楽しみを持ち合せていた。それはあり合せの水絵具に一々挿絵を彩ることだった。彼はこの「浦島太郎」にも早速彩色を加えることにした。「浦島太郎」は一冊の中に十ばかりの挿絵を含んでいる。彼はまず浦島太郎の竜宮を去るの図を彩りはじめた。竜宮は緑の屋根瓦に赤い柱のある宮殿である。乙姫は――彼はちょっと考えた後、乙姫もやはり衣裳だけは一面に赤い色を塗ることにした。浦島太郎は考えずとも好い、漁夫の着物は濃い藍色、腰蓑は薄い黄色である。ただ細い釣竿にずっと黄色をなするのは存外彼にはむずかしかった。蓑亀も毛だけを緑に塗るのは中々なまやさしい仕事ではない。最後に海は代赭色である。バケツの錆に似た代赭色である。――保吉はこう云う色彩の調和に芸術家らしい満足を感じた。殊に乙姫や浦島太郎の顔へ薄赤い色を加えたのは頗る生動の趣でも伝えたもののように信じていた。
保吉は
々母のところへ彼の作品を見せに行った。何か縫ものをしていた母は老眼鏡の額越しに挿絵の彩色へ目を移した。彼は当然母の口から褒め言葉の出るのを予期していた。しかし母はこの彩色にも彼ほど感心しないらしかった。
「海の色は可笑しいねえ。なぜ青い色に塗らなかったの?」
「だって海はこう云う色なんだもの。」
「代赭色の海なんぞあるものかね。」
「大森の海は代赭色じゃないの?」
「大森の海だってまっ青だあね。」
「ううん、ちょうどこんな色をしていた。」
母は彼の強情さ加減に驚嘆を交えた微笑を洩らした。が、どんなに説明しても、――いや、癇癪を起して彼の「浦島太郎」を引き裂いた後さえ、この疑う余地のない代赭色の海だけは信じなかった。……「海」の話はこれだけである。もっとも今日の保吉は話の体裁を整えるために、もっと小説の結末らしい結末をつけることも困難ではない。たとえば話を終る前に、こう云う数行をつけ加えるのである。――「保吉は母との問答の中にもう一つ重大な発見をした。それは誰も代赭色の海には、――人生に横わる代赭色の海にも目をつぶり易いと云うことである。」
けれどもこれは事実ではない。のみならず満潮は大森の海にも青い色の浪を立たせている。すると現実とは代赭色の海か、それともまた青い色の海か? 所詮は我々のリアリズムも甚だ当にならぬと云うほかはない。かたがた保吉は前のような無技巧に話を終ることにした。が、話の体裁は?――芸術は諸君の云うように何よりもまず内容である。形容などはどうでも差支えない。
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