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将軍(しょうぐん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-16 9:25:28  点击:  切换到繁體中文



     二 間牒かんちょう

 明治三十八年三月五日の午前、当時全勝集ぜんしょうしゅう駐屯ちゅうとんしていた、A騎兵旅団きへいりょだんの参謀は、薄暗い司令部の一室に、二人の支那人を取り調べて居た。彼等は間牒かんちょう嫌疑けんぎのため、臨時この旅団に加わっていた、第×聯隊の歩哨ほしょうの一人に、今し方とらえられて来たのだった。
 このむねの低い支那家しないえの中には、勿論今日もかんが、こころよあたたかみを漂わせていた。が、物悲しい戦争の空気は、敷瓦しきがわらに触れる拍車の音にも、たくの上に脱いだ外套がいとうの色にも、至る所にうかがわれるのであった。殊に紅唐紙べにとうしれんった、ほこり臭い白壁しらかべの上に、束髪そくはつった芸者の写真が、ちゃんとびょうで止めてあるのは、滑稽でもあれば悲惨でもあった。
 そこには旅団参謀のほかにも、副官が一人、通訳が一人、二人の支那人をかこんでいた。支那人は通訳の質問通り、何でも明瞭めいりょうに返事をした。のみならずやや年嵩としかさらしい、顔に短いひげのある男は、通訳がまだ尋ねない事さえ、進んで説明する風があった。が、その答弁は参謀の心に、明瞭ならば明瞭なだけ、一層彼等を間牒にしたい、反感に似たものを与えるらしかった。
「おい歩兵ほへい!」
 旅団参謀は鼻声に、この支那人をとらえて来た、戸口にいる歩哨をびかけた。歩兵、――それは白襷隊しろだすきたいに加わっていた、田口たぐち一等卒いっとうそつにほかならなかった。――彼は戸の卍字格子まんじごうしを後に、芸者の写真へ目をやっていたが、参謀の声に驚かされると、思い切り大きい答をした。
「はい。」
「お前だな、こいつらをつかまえたのは? 掴まえた時どんなだったか?」
 人のい田口一等卒は、朗読的にしゃべり出した。
わたくし歩哨ほしょうに立っていたのは、この村の土塀どべいの北端、奉天ほうてんに通ずる街道かいどうであります。その支那人は二人とも、奉天の方向から歩いて来ました。すると木の上の中隊長が、――」
「何、木の上の中隊長?」
 参謀はちょいと目蓋まぶたを挙げた。
「はい。中隊長は展望てんぼうのため、木の上に登っていられたのであります。――その中隊長が木の上から、つかまえろと私に命令されました。」
「ところが私がとらえようとすると、そちらの男が、――はい。その髯のない男であります。その男が急に逃げようとしました。……」
「それだけか?」
「はい。それだけであります。」
「よし。」
 旅団参謀は血肥ちぶとりの顔に、多少の失望を浮べたまま、通訳に質問の意を伝えた。通訳は退屈たいくつあらわさないため、わざと声に力を入れた。
「間牒でなければ何故なぜ逃げたか?」
「それは逃げるのが当然です。何しろいきなり日本兵が、おどりかかってきたのですから。」
 もう一人の支那人、――鴉片あへんの中毒にかかっているらしい、鉛色の皮膚ひふをした男は、少しもひるまずに返答した。
「しかしお前たちが通って来たのは、今にも戦場になる街道かいどうじゃないか? 良民ならば用もないのに、――」
 支那語の出来る副官は、血色の悪い支那人の顔へ、ちらりと意地の悪い眼を送った。
「いや、用はあるのです。今も申し上げた通り、わたくしたちは新民屯しんみんとんへ、紙幣しへいを取り換えに出かけて来たのです。御覧下さい。ここに紙幣もあります。」
 ひげのある男は平然と、将校たちの顔を眺め廻した。参謀はちょいと鼻を鳴らした。彼は副官のたじろいだのが、内心い気味に思われたのだ。……
「紙幣を取り換える? 命がけでか?」
 副官は負惜まけおしみの冷笑を洩らした。
「とにかく裸にして見よう。」
 参謀の言葉が通訳されると、彼等はやはり悪びれずに、早速赤裸あかはだかになって見せた。
「まだ腹巻はらまきをしているじゃないか? それをこっちへとって見せろ。」
 通訳が腹巻を受けとる時、その白木綿しろもめんに体温のあるのが、何だか不潔に感じられた。腹巻の中には三寸ばかりの、太い針がはいっていた。旅団参謀は窓明りに、何度もその針をしらべて見た。が、それも平たい頭に、梅花ばいかの模様がついているほか、何も変った所はなかった。
「何か、これは?」
わたくし鍼医はりいです。」
 髯のある男はためらわずに、悠然と参謀の問に答えた。
次手ついでくついで見ろ。」
 彼等はほとんど無表情に、隠すべき所も隠そうとせず、検査の結果を眺めていた。が、ズボンや上着は勿論、靴や靴下を検べて見ても、証拠になる品は見当らなかった。この上は靴をこわして見るよりほかはない。――そう思った副官は、参謀にその旨を話そうとした。
 その時突然次の部屋から、軍司令官を先頭に、軍司令部の幕僚ばくりょうや、旅団長などがはいって来た。将軍は副官や軍参謀と、ちょうど何かの打ち合せのため、旅団長を尋ねて来ていたのだった。
露探ろたんか?」
 将軍はこう尋ねたまま、支那人の前に足を止めた。そうして彼等の裸姿はだかすがたへ、じっと鋭い眼を注いだ。のちにある亜米利加アメリカ人が、この有名な将軍の眼には、Monomania じみた所があると、無遠慮な批評を下した事がある。――そのモノメニアックな眼の色が、殊にこう云う場合には、気味の悪い輝きを加えるのだった。
 旅団参謀は将軍に、ざっと事件の顛末てんまつを話した。が、将軍は思い出したように、時々うなずいて見せるばかりだった。
「この上はもうぶんなぐってでも、白状させるほかはないのですが、――」
 参謀がこう云いかけた時、将軍は地図ちずを持った手に、ゆかの上にある支那靴をゆびさした。
「あの靴をこわして見給え。」
 靴は見る見る底をまくられた。するとそこに縫いこまれた、四五枚の地図と秘密書類が、たちまちばらばらと床の上に落ちた。二人の支那人はそれを見ると、さすがに顔の色を失ってしまった。が、やはり押し黙ったまま、剛情ごうじょうに敷瓦を見つめていた。
「そんな事だろうと思っていた。」
 将軍は旅団長を顧みながら、得意そうに微笑をもらした。
「しかし靴とはまた考えたものですね。――おい、もうその連中れんじゅうには着物を着せてやれ。――こんな間牒かんちょうは始めてです。」
「軍司令官閣下の烱眼けいがんには驚きました。」
 旅団副官は旅団長へ、間牒の証拠品を渡しながら、愛嬌あいきょうい笑顔を見せた。――あたかも靴に目をつけたのは、将軍よりも彼自身が、先だった事も忘れたように。
「だが裸にしてもないとすれば、靴よりほかに隠せないじゃないか?」
 将軍はまだ上機嫌だった。
「わしはすぐに靴とにらんだ。」
「どうもこの辺の住民はいけません。我々がここへ来た時も、日の丸の旗を出したのですが、その癖家の中をしらべて見れば、大抵露西亜ロシアの旗を持っているのです。」
 旅団長も何か浮き浮きしていた。
「つまり奸佞邪智かんねいじゃちなのじゃね。」
「そうです。煮ても焼いても食えないのです。」
 こんな会話が続いている内、旅団参謀はまだ通訳と、二人の支那人を検べていた。それが急に田口一等卒へ、機嫌の悪い顔を向けると、き出すようにこう命じた。
「おい歩兵! この間牒はお前がつかまえて来たのだから、次手ついでにお前が殺して来い。」
 二十分ののち、村の南端の路ばたには、この二人の支那人が、互に辮髪べんぱつを結ばれたまま、枯柳かれやなぎの根がたに坐っていた。
 田口一等卒は銃剣をつけると、まず辮髪を解き放した。それから銃を構えたまま、年下の男のうしろに立った。が、彼等を突殺す前に、殺すと云う事だけは告げたいと思った。
※(「にんべん+爾」、第3水準1-14-45)ニイ、――」
 彼はそう云って見たが、「殺す」と云う支那語を知らなかった。
※(「にんべん+爾」、第3水準1-14-45)ニイ、殺すぞ!」
 二人の支那人は云い合せたように、じろりと彼を振り返った。しかし驚いたけはいも見せず、それぎり別々の方角へ、何度も叩頭こうとうを続け出した。「故郷へ別れを告げているのだ。」――田口一等卒は身構えながら、こうその叩頭を解釈した。
 叩頭が一通り済んでしまうと、彼等は覚悟をきめたように、冷然と首をさし伸した。田口一等卒は銃をかざした。が、神妙な彼等を見ると、どうしても銃剣が突き刺せなかった。
※(「にんべん+爾」、第3水準1-14-45)ニイ、殺すぞ!」
 彼はやむを得ず繰返した。するとそこへ村の方から、馬にまたがった騎兵が一人、ひづめ砂埃すなほこりを巻き揚げて来た。
「歩兵!」
 騎兵は――近づいたのを見れば曹長そうちょうだった。それが二人の支那人を見ると、馬の歩みをゆるめながら、傲然ごうぜんと彼に声をかけた。
露探ろたんか? 露探だろう。おれにも、一人斬らせてくれ。」
 田口一等卒は苦笑くしょうした。
「何、二人とも上げます。」
「そうか? それは気前がいな。」
 騎兵は身軽に馬を下りた。そうして支那人のうしろにまわると、腰の日本刀を抜き放した。その時また村の方から、勇しい馬蹄ばていの響と共に、三人の将校が近づいて来た。騎兵はそれに頓着とんちゃくせず、まっこうとうを振り上げた。が、まだその刀をおろさない内に、三人の将校は悠々と、彼等の側へ通りかかった。軍司令官! 騎兵は田口一等卒と一しょに、馬上の将軍を見上げながら、正しい挙手の礼をした。
露探ろたんだな。」
 将軍の眼には一瞬間、モノメニアの光が輝いた。
「斬れ! 斬れ!」
 騎兵は言下ごんかに刀をかざすと、一打ひとうちに若い支那人をった。支那人の頭は躍るように、枯柳の根もとにころげ落ちた。血は見る見る黄ばんだ土に、大きい斑点はんてんを拡げ出した。
「よし。見事だ。」
 将軍は愉快そうにうなずきながら、それなり馬を歩ませて行った。
 騎兵は将軍を見送ると、血にんだとうひっさげたまま、もう一人の支那人のうしろに立った。その態度は将軍以上に、殺戮さつりくを喜ぶ気色けしきがあった。「この×××らばおれにも殺せる。」――田口一等卒はそう思いながら、枯柳の根もとに腰をおろした。騎兵はまたとうを振り上げた。が、ひげのある支那人は、黙然もくねんと首を伸ばしたぎり、睫毛まつげ一つ動かさなかった。……
 将軍に従った軍参謀の一人、――穂積ほづみ中佐ちゅうさくらの上に、春寒しゅんかん曠野こうやを眺めて行った。が、遠い枯木立かれこだちや、路ばたに倒れた石敢当せきかんとうも、中佐の眼には映らなかった。それは彼の頭には、一時愛読したスタンダアルの言葉が、絶えず漂って来るからだった。
わたし勲章くんしょううずまった人間を見ると、あれだけの勲章を手に入れるには、どのくらい××な事ばかりしたか、それが気になって仕方がない。……」
 ――ふと気がつけば彼の馬は、ずっと将軍に遅れていた。中佐は軽い身震みぶるいをすると、すぐに馬を急がせ出した。ちょうど当り出した薄日の光に、飾緒かざりおきんをきらめかせながら。

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