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将軍(しょうぐん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-16 9:25:28  点击:  切换到繁體中文

底本: 芥川龍之介全集4
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1987(昭和62)年1月27日
入力に使用: 1996(平成8)年7月15日第8刷
校正に使用: 1996(平成8)年7月15日第8刷


底本の親本: 筑摩全集類聚版芥川龍之介全集
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月

 

  一 白襷隊

 明治三十七年十一月二十六日の未明だった。第×師団第×聯隊の白襷隊しろだすきたいは、松樹山しょうじゅざん補備砲台ほびほうだいを奪取するために、九十三高地くじゅうさんこうち北麓ほくろくを出発した。
 みち山陰やまかげに沿うていたから、隊形も今日は特別に、四列側面の行進だった。その草もない薄闇うすやみの路に、銃身を並べた一隊の兵が、白襷しろだすきばかりほのめかせながら、静かにくつを鳴らして行くのは、悲壮な光景に違いなかった。現に指揮官のM大尉なぞは、この隊の先頭に立った時から、別人のように口数くちかずの少い、沈んだ顔色かおいろをしているのだった。が、兵は皆思いのほか、平生の元気を失わなかった。それは一つには日本魂やまとだましいの力、二つには酒の力だった。
 しばらく行進を続けたのち、隊は石の多い山陰やまかげから、風当りの強い河原かわらへ出た。
「おい、うしろを見ろ。」
 紙屋だったと云う田口たぐち一等卒いっとうそつは、同じ中隊から選抜された、これは大工だいくだったと云う、堀尾ほりお一等卒に話しかけた。
「みんなこっちへ敬礼しているぜ。」
 堀尾一等卒は振り返った。なるほどそう云われて見ると、黒々くろぐろり上った高地の上には、聯隊長始め何人かの将校たちが、やや赤らんだ空をうしろに、この死地に向う一隊の士卒へ、最後の敬礼を送っていた。
「どうだい? 大したものじゃないか? 白襷隊しろだすきたいになるのも名誉だな。」
「何が名誉だ?」
 堀尾一等卒は苦々にがにがしそうに、肩の上の銃をゆすり上げた。
「こちとらはみんなしにに行くのだぜ。して見ればあれは××××××××××××××そうって云うのだ。こんな安上やすあがりな事はなかろうじゃねえか?」
「それはいけない。そんな事を云っては×××すまない。」
「べらぼうめ! すむもすまねえもあるものか! 酒保しゅほの酒を一合買うのでも、敬礼だけでは売りはしめえ。」
 田口一等卒は口をつぐんだ。それは酒気さえ帯びていれば、皮肉な事ばかり並べたがる、相手の癖にれているからだった。しかし堀尾一等卒は、執拗しつようにまだ話し続けた。
「それは敬礼で買うとは云わねえ。やれ×××××とか、やれ×××××だとか、いろんな勿体もったいをつけやがるだろう。だがそんな事はうそぱちだ。なあ、兄弟。そうじゃねえか?」
 堀尾一等卒にこう云われたのは、これも同じ中隊にいた、小学校の教師きょうしだったと云う、おとなしい江木えぎ上等兵じょうとうへいだった。が、そのおとなしい上等兵が、この時だけはどう云うわけか、急にみつきそうな権幕けんまくを見せた。そうして酒臭い相手の顔へ、悪辣あくらつな返答をほうりつけた。
莫迦野郎ばかやろう! おれたちは死ぬのが役目じゃないか?」
 その時もう白襷隊は、河原の向うへ上っていた。そこには泥をり固めた、支那人の民家が七八軒、ひっそりとあかつきを迎えている、――その家々の屋根の上には、石油色にひだをなぞった、寒い茶褐色の松樹山しょうじゅざんが、目の前に迫って見えるのだった。隊はこの村を離れると、四列側面の隊形を解いた。のみならずいずれも武装したまま、幾条かの交通路に腹這はらばいながら、じりじり敵前へ向う事になった。
 勿論もちろん江木えぎ上等兵も、その中に四つ這いを続けて行った。「酒保の酒を一合買うのでも、敬礼だけでは売りはしめえ。」――そう云う堀尾ほりお一等卒の言葉は、同時にまた彼の腹の底だった。しかし口数の少い彼は、じっとその考えを持ちこたえていた。それだけに、一層戦友の言葉は、ちょうど傷痕きずあとにでもれられたような、腹立たしい悲しみを与えたのだった。彼はこごえついた交通路を、けもののように這い続けながら、戦争と云う事を考えたり、死と云う事を考えたりした。が、そう云う考えからは、寸毫すんごうの光明も得られなかった。死は×××××にしても、所詮しょせんのろうべき怪物だった。戦争は、――彼はほとんど戦争は、罪悪と云う気さえしなかった。罪悪は戦争に比べると、個人の情熱に根ざしているだけ、×××××××出来る点があった。しかし×××××××××××××ほかならなかった。しかも彼は、――いや、彼ばかりでもない。各師団から選抜された、二千人余りの白襷隊しろだすきたいは、その大なる×××にも、いやでも死ななければならないのだった。……
「来た。来た。お前はどこの聯隊れんたいだ?」
 江木上等兵はあたりを見た。隊はいつか松樹山のふもとの、集合地へ着いているのだった。そこにはもうカアキイ服に、古めかしいたすきをあやどった、各師団の兵が集まっている、――彼に声をかけたのも、そう云う連中の一人だった。その兵は石に腰をかけながら、うっすり流れ出した朝日の光に、片頬の面皰にきびをつぶしていた。
「第×聯隊だ。」
「パン聯隊だな。」
 江木上等兵は暗い顔をしたまま、何ともその冗談じょうだんに答えなかった。
 何時間かののち、この歩兵陣地の上には、もう彼我ひがの砲弾が、すさまじいうなりを飛ばせていた。目の前に聳えた松樹山の山腹にも、李家屯りかとんの我海軍砲は、幾たびか黄色い土煙つちけむりを揚げた。その土煙の舞いあが合間あいまに、薄紫の光がほどばしるのも、昼だけに、一層悲壮だった。しかし二千人の白襷隊しろだすきたいは、こう云う砲撃の中にを待ちながら、やはり平生の元気を失わなかった。また恐怖にひしがれないためには、出来るだけ陽気に振舞ふるまうほか、仕様のない事も事実だった。
「べらぼうに撃ちやがるな。」
 堀尾一等卒は空を見上げた。その拍子ひょうしに長い叫び声が、もう一度頭上の空気をいた。彼は思わず首をちぢめながら、砂埃すなほこりの立つのを避けるためか、手巾ハンカチに鼻をおおっていた、田口たぐち一等卒に声をかけた。
「今のは二十八珊にじゅうはっサンチだぜ。」
 田口一等卒は笑って見せた。そうして相手が気のつかないように、そっとポケットへ手巾ハンカチをおさめた。それは彼が出征する時、馴染なじみの芸者に貰って来た、ふちぬいのある手巾ハンカチだった。
「音が違うな、二十八サンチは。――」
 田口一等卒はこう云うと、狼狽ろうばいしたように姿勢を正した。同時に大勢おおぜいの兵たちも、声のない号令ごうれいでもかかったように、次から次へと立ち直り始めた。それはこの時彼等の間へ、軍司令官のN将軍が、何人かの幕僚ばくりょうを従えながら、厳然と歩いて来たからだった。
「こら、騒いではいかん。騒ぐではない。」
 将軍は陣地を見渡しながら、ややさびのある声を伝えた。
「こう云う狭隘きょうあいな所だから、敬礼も何もせなくともい。お前達は何聯隊の白襷隊しろだすきたいじゃ?」
 田口一等卒は将軍の眼が、彼の顔へじっと注がれるのを感じた。その眼はほとんど処女のように、彼をはにかませるのに足るものだった。
「はい。歩兵第×聯隊であります。」
「そうか。大元気おおげんきにやってくれ。」
 将軍は彼の手を握った。それから堀尾ほりお一等卒へ、じろりとその眼を転ずると、やはり右手をさしべながら、もう一度同じ事を繰返くりかえした。
「お前も大元気にやってくれ。」
 こう云われた堀尾一等卒は、全身の筋肉が硬化こうかしたように、直立不動の姿勢になった。幅の広い肩、大きな手、頬骨ほおぼねの高いあから顔。――そう云う彼の特色は、少くともこの老将軍には、帝国軍人の模範もはんらしい、好印象を与えた容子ようすだった。将軍はそこに立ち止まったまま、熱心になお話し続けた。
「今打っている砲台があるな。今夜お前たちはあの砲台を、こっちの物にしてしまうのじゃ。そうすると予備隊は、お前たちの行ったあとから、あの界隈かいわいの砲台をみんな手に入れてしまうのじゃ。何でも一遍いっぺんにあの砲台へ、飛びつく心にならなければいかん。――」
 そう云う内に将軍の声には、いつか多少戯曲的な、感激の調子がはいって来た。
いか? 決して途中に立ち止まって、射撃なぞをするじゃないぞ。五尺の体を砲弾だと思って、いきなりあれへ飛びこむのじゃ、頼んだぞ。どうか、しっかりやってくれ。」
 将軍は「しっかり」の意味を伝えるように、堀尾一等卒の手を握った。そうしてそこを通り過ぎた。
「嬉しくもねえな。――」
 堀尾一等卒は狡猾こうかつそうに、将軍のあとを見送りながら、田口一等卒へ目交めくばせをした。
「え、おい。あんなじいさんに手を握られたのじゃ。」
 田口一等卒は苦笑くしょうした。それを見るとどう云うわけか、堀尾一等卒の心のうちには、何かに済まない気が起った。と同時に相手の苦笑が、面憎つらにくいような心もちにもなった。そこへ江木えぎ上等兵が、突然横合いから声をかけた。
「どうだい、握手で××××のは?」
「いけねえ。いけねえ。人真似をしちゃ。」
 今度は堀尾一等卒が、苦笑せずにはいられなかった。
「××れると思うから腹が立つのだ。おれは捨ててやると思っている。」
 江木上等兵がこう云うと、田口一等卒も口を出した。
「そうだ。みんな御国おくにのために捨てる命だ。」
「おれは何のためだか知らないが、ただ捨ててやるつもりなのだ。×××××××でも向けられて見ろ。何でも持って行けと云う気になるだろう。」
 江木上等兵のまゆあいだには、薄暗い興奮が動いていた。
「ちょうどあんな心もちだ。強盗は金さえ巻き上げれば、×××××××云いはしまい。が、おれたちはどっちみち死ぬのだ。×××××××××××××××××××××たのだ。どうせ死なずにすまないのなら、綺麗きれいに×××やった方が好いじゃないか?」
 こう云う言葉を聞いている内に、まだ酒気が消えていない、堀尾一等卒の眼の中には、この温厚おんこうな戦友に対する、侮蔑ぶべつの光が加わって来た。「何だ、命を捨てるくらい?」――彼は内心そう思いながら、うっとり空へ眼をあげた。そうして今夜は人後に落ちず、将軍の握手に報いるため、肉弾になろうと決心した。……
 そのの八時何分か過ぎ、手擲弾しゅてきだんあたった江木上等兵は、全身黒焦くろこげになったまま、松樹山しょうじゅざんの山腹に倒れていた。そこへ白襷しろだすきの兵が一人、何か切れ切れに叫びながら、鉄条網てつじょうもうの中を走って来た。彼は戦友の屍骸しがいを見ると、その胸に片足かけるが早いか、突然大声に笑い出した。大声に、――実際その哄笑こうしょうの声は、烈しい敵味方の銃火の中に、気味の悪い反響をび起した。
「万歳! 日本にっぽん万歳! 悪魔降伏。怨敵おんてき退散たいさん。第×聯隊万歳! 万歳! 万々歳!」
 彼は片手に銃を振り振り、彼の目の前に闇を破った、手擲弾の爆発にも頓着とんちゃくせず、続けざまにこう絶叫していた。その光にかして見れば、これは頭部銃創のために、突撃の最中さいちゅう発狂したらしい、堀尾一等卒その人だった。

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