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俊寛(しゅんかん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-16 9:24:17  点击:  切换到繁體中文


 俊寛様は御腹立たしそうに、ばたばた芭蕉扇ばしょうせんを御使いなさいました。
「あの女は気違いのように、何でも船へ乗ろうとする。舟子ふなごたちはそれを乗せまいとする。とうとうしまいにあの女は、少将の直垂ひたたれすそつかんだ。すると少将はあおい顔をしたまま、邪慳じゃけんにその手をねのけたではないか? 女は浜べに倒れたが、それぎり二度と乗ろうともせぬ。ただおいおい泣くばかりじゃ。おれはあの一瞬間、康頼やすよりにも負けぬ大嗔恚だいしんいを起した。少将は人畜生じんちくしょうじゃ。康頼もそれを見ているのは、仏弟子ぶつでし所業しょぎょうとも思われぬ。おまけにあの女を乗せる事は、おれのほかに誰も頼まなかった。――おれはそう思うたら、今でも不思議な気がするくらい、ありとあらゆる罵詈讒謗ばりざんぼうが、口をいてあふれて来た。もっともおれの使ったのは、京童きょうわらべの云う悪口あっこうではない。八万法蔵はちまんほうぞう十二部経中じゅうにぶきょうちゅう悪鬼羅刹あっきらせつの名前ばかり、矢つぎ早に浴びせたのじゃ。が、船は見る見る遠ざかってしまう。あの女はやはり泣き伏したままじゃ。おれは浜べにじだんだをみながら、返せ返せと手招ぎをした。」
 御主人の御腹立ちにもかかわらず、わたしは御話を伺っている内に、自然とほほんでしまいました。すると御主人も御笑いになりながら、
「その手招ぎが伝わっているのじゃ。嗔恚のたたりはそこにもある。あの時おれがおこりさえせねば、俊寛は都へ帰りたさに、狂いまわったなぞと云う事も、くちのぼらずにすんだかも知れぬ。」と、仕方がなさそうにおっしゃるのです。
「しかしそののち格別かくべつに、御歎きなさる事はなかったのですか?」
なげいても仕方はないではないか? そのうえ時のたつ内には、寂しさも次第に消えて行った。おれは今では己身こしんうちに、本仏ほんぶつを見るより望みはない。自土即浄土じどそくじょうどと観じさえすれば、大歓喜だいかんぎの笑い声も、火山からほのおほどばしるように、自然といて来なければならぬ。おれはどこまでも自力じりきの信者じゃ。――おお、まだ一つ忘れていた。あの女は泣き伏したぎり、いつまでたっても動こうとせぬ。その内に土人も散じてしまう。船は青空にまぎれるばかりじゃ。おれは余りのいじらしさに、慰めてやりたいと思うたから、そっと後手うしろでき起そうとした。するとあの女はどうしたと思う? いきなりおれをはり倒したのじゃ。おれは目がらみながら、仰向あおむけにそこへ倒れてしもうた。おれの肉身に宿らせ給う、諸仏しょぶつ諸菩薩しょぼさつ諸明王しょみょうおうも、あれには驚かれたに相違ない。しかしやっと起き上って見ると、あの女はもう村の方へ、すごすご歩いて行く所じゃった。何、おれをはり倒した訳か? それはあの女に聞いたがい。が、事によると人気ひとけはなし、りょうぜられるとでも思ったかも知れぬ。」

        五

 わたしは御主人とその翌日、この島の火山へ登りました。それから一月ほど御側おそばにいたのち、御名残り惜しい思いをしながら、もう一度都へ帰って来ました。「見せばやなわれを思わむ友もがないそのとまやのしばいおりを」――これが御形見おかたみに頂いた歌です。俊寛しゅんかん様はやはり今でも、あの離れ島の笹葺ささぶきの家に、相不変あいかわらず御一人悠々と、御暮らしになっている事でしょう。事によると今夜あたりは、琉球芋りゅうきゅういもを召し上りながら、御仏みほとけの事や天下の事を御考えになっているかも知れません。そう云う御話はこのほかにも、まだいろいろ伺ってあるのですが、それはまたいつか申し上げましょう。

(大正十年十二月)




 



底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年1月27日第1刷発行
   1993(平成5)年12月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月19日公開
2004年3月9日修正
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