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十円札(じゅうえんさつ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-16 9:06:03  点击:  切换到繁體中文

底本: 芥川龍之介全集5
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1987(昭和62)年2月24日
入力に使用: 1995(平成7)年4月10日第6刷
校正に使用: 1996(平成8)年7月15日第7刷


底本の親本: 筑摩全集類聚版芥川龍之介全集
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月

 

ある曇った初夏しょかの朝、堀川保吉ほりかわやすきち悄然しょうぜんとプラットフォオムの石段を登って行った。と云っても格別大したことではない。彼はただズボンのポケットの底に六十何銭しか金のないことを不愉快に思っていたのである。
 当時の堀川保吉はいつも金に困っていた。英吉利イギリス語を教える報酬ほうしゅうは僅かに月額六十円である。片手間かたてまに書いている小説は「中央公論ちゅうおうこうろん」に載った時さえ、九十銭以上になったことはない。もっとも一月ひとつき五円の間代まだいに一食五十銭の食料の払いはそれだけでも確かにに合って行った。のみならず彼の洒落しゃれるよりもむしろ己惚うぬぼれるのを愛していたことは、――少くともその経済的意味を重んじていたことは事実である。しかし本を読まなければならぬ。埃及エジプト煙草たばこも吸わなければならぬ。音楽会の椅子いすにも坐らなければならぬ。友だちの顔も見なければならぬ。友だち以外の女人にょにんの顔も、――とにかく一週に一度ずつは必ず東京へかなければならぬ。こう云う生活欲にられていた彼は勿論原稿料の前借ぜんしゃくをしたり、父母兄弟に世話を焼かせたりした。それでもまだ金のりない時には赤い色硝子いろガラス軒燈けんとうを出した、人出入の少い土蔵造どぞうづくりのうちへ大きい画集などを預けることにした。が、前借の見込みも絶え、父母兄弟とも喧嘩けんかをした今は、――いや、今はそれどころではない。この紀元節きげんせつに新調した十八円五十銭のシルク・ハットさえとうにもう彼の手を離れている。………
 保吉は人のこみ合ったプラットフォオムを歩きながら、光沢こうたくの美しいシルク・ハットをありありと目の前に髣髴ほうふつした。シルク・ハットは円筒えんとうの胴に土蔵の窓明りをほのめかせている。そのまた胴は窓のそとに咲いた泰山木たいざんぼくの花をうつしている。……しかしふと指に触れたズボンの底の六十何銭かはたちまちその夢を打ちこわした。今日きょうはまだやっと十何日かである。二十八日の月給日に堀川教官殿と書いた西洋封筒せいようふうとうを受け取るのにはかれこれ二週間も待たなければならぬ。が、彼の楽しみにしていた東京へ出かける日曜日はもうあしたに迫っている。彼はあしたは長谷はせ大友おおともと晩飯を共にするつもりだった。こちらにないスコットの油画具あぶらえのぐやカンヴァスも仕入しいれるつもりだった。フロイライン・メルレンドルフの演奏会へも顔を出すつもりだった。けれども六十何銭かの前には東京ゆきそれ自身さえあきらめなければならぬ。
明日あすよ、ではさようなら」である。
 保吉は憂鬱をまぎらせるために巻煙草まきたばこを一本くわえようとした。が、手をやったポケットの中には生憎あいにく一本も残っていない。彼はいよいよ悪意のある運命の微笑びしょうを感じながら、待合室の外に足をめた物売りの前へ歩み寄った。緑いろの鳥打帽とりうちぼうをかぶった、薄い痘痕あばたのある物売りはいつもただつまらなそうに、くびった箱の中の新聞だのキャラメルだのを眺めている。これは一介いっかいの商人ではない。我々の生命を阻害そがいする否定的精神の象徴しょうちょうである。保吉はこの物売りの態度に、今日きょうも――と言うよりもむしろ今日はじっとしてはいられぬ苛立いらだたしさを感じた。
朝日あさひをくれ給え。」
「朝日?」
 物売りは不相変あいかわらず目を伏せたまま、非難するように問い返した。
「新聞ですか? 煙草たばこですか?」
 保吉は眉間みけんふるえるのを感じた。
「ビイル!」
 物売りはさすがに驚いたように保吉の顔へ目をそそいだ。
「朝日ビイルはありません。」
 保吉は溜飲りゅういんを下げながら、物売りをうしろに歩き出した。しかしそこへ買いに来た朝日は、――朝日などはもう吸わずともい。いまいましい物売りを一蹴いっしゅうしたのはハヴァナを吸ったのよりも愉快である。彼はズボンのポケットの底の六十何銭かも忘れたまま、プラットフォオムの先へ歩いて行った。ちょうどワグラムの一戦に大勝を博したナポレオンのように。……

       ―――――――――――――――――――――――――

 岩とも泥とも見当けんとうのつかぬ、灰色をなすった断崖だんがいは高だかと曇天に聳えている。そのまた断崖のてっぺんは草とも木とも見当のつかぬ、白茶しらちゃけた緑を煙らせている。保吉はこの断崖の下をぼんやり一人ひとり歩いて行った。三十分汽車にられたのち、さらにまた三十分足らず砂埃すなほこりの道を歩かせられるのは勿論永久の苦痛である。苦痛?――いや、苦痛ではない。惰力だりょくの法則はいつのまにか苦痛という意識さえ奪ってしまった。彼は毎日無感激にこの退屈そのものに似た断崖の下を歩いている。地獄の業苦ごうくを受くることは必ずしも我々の悲劇ではない。我々の悲劇は地獄の業苦を業苦と感ぜずにいることである。彼はこう云う悲劇の外へ一週に一度ずつおどり出していた。が、ズボンのポケットの底に六十何銭しか残っていない今は、……
「お早う。」
 突然声をかけたのは首席教官の粟野あわのさんである。粟野さんは五十を越しているであろう。色の黒い、近眼鏡きんがんきょうをかけた、幾分いくぶん猫背ねこぜ紳士しんしである。由来ゆらい保吉の勤めている海軍の学校の教官は時代を超越したこんサアジ以外に、いかなる背広をも着たことはない。粟野さんもやはり紺サアジの背広に新らしい麦藁帽むぎわらぼうをかぶっている。保吉は丁寧にお時儀じぎをした。
「お早うございます。」
大分だいぶすようになりましたね。」
「お嬢さんはいかがですか? 御病気のように聞きましたが、……」
難有ありがとう。やっと昨日きのう退院しました。」
 粟野さんの前に出た保吉は別人のように慇懃いんぎんである。これは少しも虚礼ではない。彼は粟野さんの語学的天才にすこぶる敬意をいだいている。行年ぎょうねん六十の粟野さんは羅甸ラテン語のシイザアを教えていた。今も勿論英吉利イギリス語を始め、いろいろの近代語に通じている。保吉はいつか粟野さんの Asino ――ではなかったかも知れない、が、とにかくそんな名前の伊太利イタリイ語の本を読んでいるのに少からず驚嘆きょうたんした。しかし敬意を抱いているのは語学的天才のためばかりではない。粟野さんはいかにも長者ちょうじゃらしい寛厚かんこうの風をそなえている。保吉は英吉利語の教科書の中に難解の個所を発見すると、必ず粟野さんに教わりに出かけた。難解の、――もっとも時間を節約するために、時には辞書じしょを引いて見ずに教わりに出かけたこともないわけではない。が、こう云う場合には粟野さんに対する礼儀上、当惑とうわくの風をよそうことに全力を尽したのも事実である。粟野さんはいつもやすやすと彼の疑問を解決した。しかし余り無造作むぞうさに解決出来る場合だけは、――保吉はいまだにはっきりと一思案ひとしあんよそおった粟野さんの偽善的ぎぜんてき態度を覚えている。粟野さんは保吉の教科書を前に、火の消えたパイプをくわえたまま、いつもちょっと沈吟ちんぎんした。それからあたかも卒然そつぜんと天上の黙示もくじでもくだったように、「これはこうでしょう」と呼びかけながら、一気にその個所を解決した。保吉はこの芝居のために、――この語学的天才よりもむしろ偽善者たる教えぶりのために、どのくらい粟野さんを尊敬したであろう。……
「あしたはもう日曜ですね。この頃もやっぱり日曜にゃ必ず東京へお出かけですか?」
「ええ、――いいえ、明日あしたかないことにしました。」
「どうして?」
「実はその――貧乏びんぼうなんです。」
常談じょうだんでしょう。」
 粟野さんはかすかに笑い声をらした。やや鳶色とびいろ口髭くちひげのかげにやっと犬歯けんしの見えるくらい、遠慮深そうに笑ったのである。
「君は何しろ月給のほかに原稿料もはいるんだから、莫大ばくだいの収入を占めているんでしょう。」
「常談でしょう」と言ったのは今度は相手の保吉である。それも粟野さんの言葉よりははるかに真剣に言ったつもりだった。
「月給は御承知の通り六十円ですが、原稿料は一枚九十銭なんです。仮に一月ひとつきに五十枚書いても、僅かに五九ごっく四十五円ですね。そこへ小雑誌しょうざっしの原稿料は六十銭を上下じょうげしているんですから……」
 保吉はたちまち熱心にいかに売文に糊口ここうすることの困難であるかをべんじ出した。弁じ出したばかりではない。彼の生来せいらいの詩的情熱は見る見るまたそれを誇張し出した。日本の戯曲家ぎきょくかや小説家は、――殊に彼の友だちは惨憺さんたんたる窮乏きゅうぼうに安んじなければならぬ。長谷正雄はせまさおは酒の代りに電気ブランを飲んでいる。大友雄吉おおともゆうきち妻子さいしと一しょに三畳の二階を借りている。松本法城まつもとほうじょうも――松本法城は結婚以来少しらくに暮らしているかも知れない。しかしついこの間まではやはり焼鳥屋へ出入しゅつにゅうしていた。……
「Appearances are deceitful ですかね。」
 粟野さんは常談とも真面目まじめともつかずに、こうえ切らない相槌あいづちを打った。
 道の両側りょうがわはいつのまにか、ごみごみした町家ちょうかに変っている。塵埃ちりぼこりにまみれたかざり窓と広告のげた電柱と、――市と云う名前はついていても、都会らしい色彩はどこにも見えない。殊に大きいギャントリイ・クレエンの瓦屋根の空によこたわっていたり、そのまた空に黒い煙や白い蒸気の立っていたりするのは戦慄せんりつあたいするすさまじさである。保吉は麦藁帽むぎわらぼうひさしの下にこう云う景色を眺めながら、彼自身意識して誇張した売文の悲劇に感激した。同時に平生尊重する我慢がまんも何も忘れたように、今も片手を突こんでいたズボンの中味を吹聴ふいちょうした。
「実は東京へ行きたいんですが六十何銭しかない始末しまつなんです。」

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