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邪宗門(じゃしゅうもん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-16 9:03:37  点击:  切换到繁體中文



        十一

 摩利信乃法師まりしのほうしはこれを見ると、またにやにや微笑ほほえみながら、童部わらべかたわらへ歩みよって、
「さても御主おぬしは、聞分けのよい、年には増した利発な子じゃ。そう温和おとなしくしてれば、諸天童子も御主にめでて、ほどなくそこな父親てておや正気しょうきに還して下されよう。わしもこれから祈祷きとうしょうほどに、御主もわしを見慣うて、天上皇帝の御慈悲に御すがり申したがよかろうぞ。」
 こう云うと沙門は旗竿を大きく両腕にいだきながら、大路おおじのただ中にひざまずいて、うやうやしげに頭を垂れました。そうして眼をつぶったまま、何やら怪しげな陀羅尼だらにのようなものを、声高こわだかし始めました。それがどのくらいつづいた事でございましょう。沙門のまわりに輪を作って、この不思議な加持かじのし方を眺めている私どもには、かれこれものの半時もたったかと思われるほどでございましたが、やがて沙門が眼を開いて、脆いたなり伸ばした手を、鍛冶かじの顔の上へさしかざしますと、見る見る中にその顔が、暖かく血の色を盛返して、やがて苦しそうなうなり声さえ、例の泡だらけな口の中から、一しきり長く溢れて参りました。
「やあ、阿父おとっさんが、生き返った。」
 童部わらべは竹馬を抛り出すと、嬉しそうに小躍りして、また父親の傍へ走りよりました。が、その手でき起されるまでもなく、呻り声を洩らすとほとんど同時に、鍛冶はまるで酒にでも酔ったかと思うような、覚束ない身のこなしで、おもむろに体を起しました。すると沙門はさも満足そうに、自分も悠然と立ち上って、あの女菩薩にょぼさつ画像えすがたを親子のもののかしらの上に、日を蔽う如くさしかざすと、
「天上皇帝の御威徳は、この大空のように広大無辺じゃ。何と信を起されたか。」と、おごそかにこう申しました。
 鍛冶の親子は互にしっかりいだき合いながら、まだ土の上にうずくまって居りましたが、沙門の法力ほうりきの恐ろしさには、魂も空にけし飛んだのでございましょう。女菩薩のはたを仰ぎますと、二人とも殊勝げな両手を合せて、わなわな震えながら、礼拝らいはいいたしました。と思うとつづいて二三人、まわりに立っている私どもの中にも、笠を脱いだり、烏帽子を直したりして、画像えすがたを拝んだものが居ったようでございます。ただ私は何となく、その沙門や女菩薩の画像が、まるで魔界の風に染んでいるような、いまわしい気が致しましたから、鍛冶が正気に還ったのをしおに、※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)そうそうその場を立ち去ってしまいました。
 後で人の話を承わりますと、この沙門の説教致しますのが、震旦しんたんから渡って参りました、あの摩利まりの教と申すものだそうで、摩利信乃法師まりしのほうしと申します男も、この国の生れやら、乃至ないし唐土もろこしに人となったものやら、とんと確かなことはわからないと云う事でございました。中にはまた、震旦でも本朝でもない、天竺てんじくはてから来た法師で、昼こそあのように町を歩いているが、夜は墨染の法衣ころもが翼になって、八阪寺やさかでらの塔の空へ舞上るなどと云う噂もございましたが、元よりそれはとりとめもない、嘘だったのでございましょう。が、さような噂が伝わりましたのも、一応はもっともかと存じられますくらい、この摩利信乃法師の仕業には、いろいろ幻妙な事が多かったのでございます。

        十二

 と申しますのは、まず第一に摩利信乃法師まりしのほうしが、あの怪しげな陀羅尼だらにの力で、瞬く暇に多くの病者をなおした事でございます。盲目めしいが見えましたり、あしなえが立ちましたり、おしが口をききましたり――一々数え立てますのも、煩わしいくらいでございますが、中でも一番名高かったのは、さき摂津守せっつのかみの悩んでいた人面瘡にんめんそうででもございましょうか。これはおいを遠矢にかけて、その女房を奪ったとやら申すむくいから、左の膝頭にその甥の顔をした、不思議なかさが現われて、昼も夜も骨をけずるような業苦ごうくに悩んで居りましたが、あの沙門の加持かじを受けますと、見る間にその顔が気色けしきやわらげて、やがて口とも覚しい所から「南無なむ」と云う声が洩れるや否や、たちまち跡方あとかたもなく消え失せたと申すのでございます。元よりそのくらいでございますから、狐のきましたのも、天狗のきましたのも、あるいはまた、何とも名の知れない、妖魅鬼神ようみきじんの憑きましたのも、あの十文字じゅうもんじの護符を頂きますと、まるでの葉を食う虫が、大風にでも振われて落ちるように、すぐさま落ちてしまいました。
 が、摩利信乃法師の法力が評判になったのは、それだからばかりではございません。前にも私が往来で見かけましたように、摩利の教を誹謗ひぼうしたり、その信者を呵責かしゃくしたり致しますと、あの沙門は即座にその相手に、恐ろしい神罰を祈り下しました。おかげで井戸の水がなまぐさい血潮に変ったものもございますし、の稲を一夜いちやの中にいなむしが食ってしまったものもございますが、あの白朱社はくしゅしゃ巫女みこなどは、摩利信乃法師を祈り殺そうとした応報で、一目見るのさえ気味の悪い白癩びゃくらいになってしまったそうでございます。そこであの沙門は天狗の化身けしんだなどと申す噂が、一層高くなったのでございましょう。が、天狗ならば一矢に射てとって見せるとか申して、わざわざ鞍馬の奥から参りました猟師も、例の諸天童子のつるぎにでも打たれたのか、急に目がつぶれた揚句あげく、しまいには摩利の教の信者になってしまったとか申す事でございました。
 そう云う勢いでございますから、日がるに従って、信者になる老若男女ろうにゃくなんにょも、追々数を増して参りましたが、そのまた信者になりますには、何でも水でかしらぬらすと云う、灌頂かんちょうめいた式があって、それを一度すまさない中は、例の天上皇帝に帰依きえした明りが立ちねるのだそうでございます。これは私の甥が見かけたことでございますが、ある日四条の大橋を通りますと、橋の下の河原におびただしい人だかりが致して居りましたから、何かと存じてのぞきました所、これもやはり摩利信乃法師が東国者らしい侍に、その怪しげな灌頂の式を授けてるのでございました。何しろ折からの水がぬるんで、桜の花も流れようと云う加茂川へ、大太刀をいてかしこまった侍と、あの十文字の護符を捧げている異形いぎょうな沙門とが影を落して、見慣れない儀式を致していたと申すのでございますから、余程面白い見物みものでございましたろう。――そう云えば、前に申し上げる事を忘れましたが、摩利信乃法師は始めから、四条河原の非人ひにん小屋の間へ、小さな蓆張むしろばりのいおりを造りまして、そこに始終たった一人、わびしく住んでいたのでございます。

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