九
丁度その頃の事でございます。洛中に一人の異形な沙門が現れまして、とんと今までに聞いた事のない、摩利の教と申すものを説き弘め始めました。これも一時随分評判でございましたから、中には御聞き及びの方もいらっしゃる事でございましょう。よくものの草紙などに、震旦から天狗が渡ったと書いてありますのは、丁度あの染殿の御后に鬼が憑いたなどと申します通り、この沙門の事を譬えて云ったのでございます。
そう申せば私が初めてその沙門を見ましたのも、やはり其頃の事でございました。確か、ある花曇りの日の昼中だったかと存じますが、何か用足しに出ました帰りに、神泉苑の外を通りかかりますと、あすこの築土を前にして、揉烏帽子やら、立烏帽子やら、あるいはまたもの見高い市女笠やらが、数にしておよそ二三十人、中には竹馬に跨った童部も交って、皆一塊になりながら、罵り騒いでいるのでございます。さてはまた、福徳の大神に祟られた物狂いでも踊っているか、さもなければ迂闊な近江商人が、魚盗人に荷でも攫われたのだろうと、こう私は考えましたが、あまりその騒ぎが仰々しいので、何気なく後からそっと覗きこんで見ますと、思いもよらずその真中には、乞食のような姿をした沙門が、何か頻にしゃべりながら、見慣れぬ女菩薩の画像を掲げた旗竿を片手につき立てて、佇んでいるのでございました。年の頃はかれこれ三十にも近うございましょうか、色の黒い、眼のつり上った、いかにも凄じい面がまえで、着ているものこそ、よれよれになった墨染の法衣でございますが、渦を巻いて肩の上まで垂れ下った髪の毛と申し、頸にかけた十文字の怪しげな黄金の護符と申し、元より世の常の法師ではございますまい。それが、私の覗きました時は、流れ風に散る神泉苑の桜の葉を頭から浴びて、全く人間と云うよりも、あの智羅永寿の眷属が、鳶の翼を法衣の下に隠しているのではないかと思うほど、怪しい姿に見うけられました。
するとその時、私の側にいた、逞しい鍛冶か何かが、素早く童部の手から竹馬をひったくって、
「おのれ、よくも地蔵菩薩を天狗だなどと吐したな。」と、噛みつくように喚きながら、斜に相手の面を打ち据えました。が、打たれながらも、その沙門は、にやりと気味の悪い微笑を洩らしたまま、いよいよ高く女菩薩の画像を落花の風に飜して、
「たとい今生では、いかなる栄華を極めようとも、天上皇帝の御教に悖るものは、一旦命終の時に及んで、たちまち阿鼻叫喚の地獄に堕ち、不断の業火に皮肉を焼かれて、尽未来まで吠え居ろうぞ。ましてその天上皇帝の遺された、摩利信乃法師に笞を当つるものは、命終の時とも申さず、明日が日にも諸天童子の現罰を蒙って、白癩の身となり果てるぞよ。」と、叱りつけたではございませんか。この勢いに気を呑まれて、私は元より当の鍛冶まで、しばらくはただ、竹馬を戟にしたまま、狂おしい沙門の振舞を、呆れてじっと見守って居りました。
十
が、それはほんの僅の間で、鍛冶はまた竹馬をとり直しますと、
「まだ雑言をやめ居らぬか。」と、恐ろしい権幕で罵りながら、矢庭に沙門へとびかかりました。
元よりその時は私はじめ、誰でも鍛冶の竹馬が、したたか相手の面を打ち据えたと、思わなかったものはございません。いや、実際竹馬は、あの日の焦けた頬に、もう一すじ蚯蚓腫の跡を加えたようでございます。が、横なぐりに打ち下した竹馬が、まだ青い笹の葉に落花を掃ったと思うが早いか、いきなり大地にどうと倒れたのは、沙門ではなくて、肝腎の鍛冶の方でございました。
これに辟易した一同は、思わず逃腰になったのでございましょう。揉烏帽子も立烏帽子も意気地なく後を見せて、どっと沙門のまわりを離れましたが、見ると鍛冶は、竹馬を持ったまま、相手の足もとにのけぞり返って、口からはまるで癲癇病みのように白い泡さえも噴いて居ります。沙門はしばらくその呼吸を窺っているようでございましたが、やがてその瞳を私どもの方へ返しますと、
「見られい。わしの云うた事に、偽りはなかったろうな。諸天童子は即座にこの横道者を、目に見えぬ剣で打たせ給うた。まだしも頭が微塵に砕けて、都大路に血をあやさなんだのが、時にとっての仕合せと云わずばなるまい。」と、さも横柄に申しました。
するとその時でございます。ひっそりと静まり返った人々の中から、急にけたたましい泣き声をあげて、さっき竹馬を持っていた童部が一人、切禿の髪を躍らせながら、倒れている鍛冶の傍へ、転がるように走り寄ったのは。
「阿父さん。阿父さんてば。よう。阿父さん。」
童部はこう何度も喚きましたが、鍛冶はさらに正気に還る気色もございません。あの唇にたまった泡さえ、不相変花曇りの風に吹かれて、白く水干の胸へ垂れて居ります。
「阿父さん。よう。」
童部はまたこう繰り返しましたが、鍛冶が返事をしないのを見ると、たちまち血相を変えて、飛び立ちながら、父の手に残っている竹馬を両手でつかむが早いか、沙門を目がけて健気にも、まっしぐらに打ってかかりました。が、沙門はその竹馬を、持っていた画像の旗竿で、事もなげに払いながら、またあの気味の悪い笑を洩らしますと、わざと柔しい声を出して、「これは滅相な。御主の父親が気を失ったのは、この摩利信乃法師がなせる業ではないぞ。さればわしを窘めたとて、父親が生きて返ろう次第はない。」と、たしなめるように申しました。
その道理が童部に通じたと云うよりは、所詮この沙門と打ち合っても、勝てそうもないと思ったからでございましょう。鍛冶の小伜は五六度竹馬を振りまわした後で、べそを掻いたまま、往来のまん中へ立ちすくんでしまいました。
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