您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 芥川 竜之介 >> 正文

邪宗門(じゃしゅうもん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-16 9:03:37  点击:  切换到繁體中文



        九

 丁度その頃の事でございます。洛中らくちゅうに一人の異形いぎょう沙門しゃもんが現れまして、とんと今までに聞いた事のない、摩利まりの教と申すものを説きひろめ始めました。これも一時随分評判でございましたから、中には御聞き及びのかたもいらっしゃる事でございましょう。よくものの草紙などに、震旦しんたんから天狗てんぐが渡ったと書いてありますのは、丁度あの染殿そめどの御后おきさきに鬼がいたなどと申します通り、この沙門の事をたとえて云ったのでございます。
 そう申せば私が初めてその沙門を見ましたのも、やはり其頃の事でございました。確か、ある花曇りの日の昼中ひるなかだったかと存じますが、何か用足しに出ました帰りに、神泉苑しんせんえんの外を通りかかりますと、あすこの築土ついじを前にして、揉烏帽子もみえぼしやら、立烏帽子たてえぼしやら、あるいはまたもの見高い市女笠いちめがさやらが、かずにしておよそ二三十人、中には竹馬に跨った童部わらべも交って、皆一塊ひとかたまりになりながら、ののしり騒いでいるのでございます。さてはまた、福徳の大神おおかみに祟られた物狂いでも踊っているか、さもなければ迂闊うかつ近江商人おうみあきゅうどが、魚盗人うおぬすびとに荷でもさらわれたのだろうと、こう私は考えましたが、あまりその騒ぎが仰々ぎょうぎょうしいので、何気なにげなくうしろからそっとのぞきこんで見ますと、思いもよらずその真中まんなかには、乞食こつじきのような姿をした沙門が、何かしきりにしゃべりながら、見慣れぬ女菩薩にょぼさつ画像えすがたを掲げた旗竿を片手につき立てて、たたずんでいるのでございました。年の頃はかれこれ三十にも近うございましょうか、色の黒い、眼のつり上った、いかにも凄じいつらがまえで、着ているものこそ、よれよれになった墨染の法衣ころもでございますが、渦を巻いて肩の上まで垂れ下った髪の毛と申し、くびにかけた十文字の怪しげな黄金こがね護符ごふと申し、元より世の常の法師ほうしではございますまい。それが、私ののぞきました時は、流れ風に散る神泉苑の桜の葉を頭から浴びて、全く人間と云うよりも、あの智羅永寿ちらえいじゅ眷属けんぞくが、とびの翼を法衣ころもの下に隠しているのではないかと思うほど、怪しい姿に見うけられました。
 するとその時、私の側にいた、逞しい鍛冶かじか何かが、素早く童部わらべの手から竹馬をひったくって、
「おのれ、よくも地蔵菩薩を天狗だなどとぬかしたな。」と、噛みつくように喚きながら、はすに相手のおもてを打ち据えました。が、打たれながらも、その沙門しゃもんは、にやりと気味の悪い微笑を洩らしたまま、いよいよ高く女菩薩にょぼさつ画像えすがたを落花の風にひるがえして、
「たとい今生こんじょうでは、いかなる栄華えいがを極めようとも、天上皇帝の御教みおしえもとるものは、一旦命終めいしゅうの時に及んで、たちまち阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄にち、不断の業火ごうかに皮肉を焼かれて、尽未来じんみらいまで吠え居ろうぞ。ましてその天上皇帝ののこされた、摩利信乃法師まりしのほうししもとを当つるものは、命終の時とも申さず、明日あすが日にも諸天童子の現罰を蒙って、白癩びゃくらいの身となり果てるぞよ。」と、叱りつけたではございませんか。この勢いに気を呑まれて、私は元より当の鍛冶かじまで、しばらくはただ、竹馬をほこにしたまま、狂おしい沙門の振舞を、呆れてじっと見守って居りました。

        十

 が、それはほんの僅ので、鍛冶かじはまた竹馬たけうまをとり直しますと、
「まだ雑言ぞうごんをやめ居らぬか。」と、恐ろしい権幕けんまくで罵りながら、矢庭やにわ沙門しゃもんへとびかかりました。
 元よりその時は私はじめ、誰でも鍛冶の竹馬が、したたか相手のおもてを打ち据えたと、思わなかったものはございません。いや、実際竹馬は、あの日のけた頬に、もう一すじ蚯蚓腫みみずばれの跡を加えたようでございます。が、横なぐりに打ち下した竹馬が、まだ青い笹の葉に落花をはらったと思うが早いか、いきなり大地だいちにどうと倒れたのは、沙門ではなくて、肝腎の鍛冶の方でございました。
 これに辟易へきえきした一同は、思わず逃腰にげごしになったのでございましょう。揉烏帽子もみえぼしたて烏帽子も意気地なくうしろを見せて、どっと沙門のまわりを離れましたが、見ると鍛冶は、竹馬を持ったまま、相手の足もとにのけぞり返って、口からはまるで癲癇病てんかんやみのように白い泡さえも噴いて居ります。沙門はしばらくその呼吸を窺っているようでございましたが、やがてその瞳を私どもの方へ返しますと、
「見られい。わしの云うた事に、いつわりはなかったろうな。諸天童子は即座にこの横道者おうどうものを、目に見えぬつるぎで打たせ給うた。まだしもかしらが微塵に砕けて、都大路みやこおおじに血をあやさなんだのが、時にとっての仕合せと云わずばなるまい。」と、さも横柄おうへいに申しました。
 するとその時でございます。ひっそりと静まり返った人々の中から、急にけたたましい泣き声をあげて、さっき竹馬を持っていた童部わらべが一人、切禿きりかむろの髪を躍らせながら、倒れている鍛冶かじの傍へ、転がるように走り寄ったのは。
阿父おとっさん。阿父さんてば。よう。阿父さん。」
 童部わらべはこう何度もわめきましたが、鍛冶はさらに正気しょうきに還る気色けしきもございません。あの唇にたまった泡さえ、不相変あいかわらず花曇りの風に吹かれて、白く水干すいかんの胸へ垂れて居ります。
「阿父さん。よう。」
 童部わらべはまたこう繰り返しましたが、鍛冶が返事をしないのを見ると、たちまち血相を変えて、飛び立ちながら、父の手に残っている竹馬を両手でつかむが早いか、沙門を目がけて健気けなげにも、まっしぐらに打ってかかりました。が、沙門はその竹馬を、持っていた画像えすがたの旗竿で、事もなげに払いながら、またあの気味の悪いえみを洩らしますと、わざとやさしい声を出して、「これは滅相な。御主おぬし父親てておやが気を失ったのは、この摩利信乃法師まりしのほうしがなせるわざではないぞ。さればわしをくるしめたとて、父親が生きて返ろう次第はない。」と、たしなめるように申しました。
 その道理が童部わらべに通じたと云うよりは、所詮この沙門と打ち合っても、勝てそうもないと思ったからでございましょう。鍛冶の小伜は五六度竹馬を振りまわした後で、べそを掻いたまま、往来のまん中へ立ちすくんでしまいました。

上一页  [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]  ... 下一页  >>  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告