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邪宗門(じゃしゅうもん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-16 9:03:37  点击:  切换到繁體中文



        七

 でございますからこの御姫様に、おもいを懸けていらしった方々かたがたの間には、まるで竹取たけとり物語の中にでもありそうな、可笑おかしいことが沢山ございましたが、中でも一番御気の毒だったのは京極きょうごく左大弁様さだいべんさまで、このかた京童きょうわらんべからすの左大弁などと申し上げたほど、顔色が黒うございましたが、それでもやはり人情には変りもなく、中御門なかみかどの御姫様を恋い慕っていらっしゃいました。所がこの方は御利巧だと同時に、気の小さい御性質だったと見えまして、いかに御姫様をなつかしく思召しても、御自分の方からそれとは御打ち明けなすった事もございませんし、元よりまた御同輩の方にも、ついぞそれらしい事を口に出して、仰有おっしゃったためしはございません。しかし忍び忍びに御姫様の御顔を拝みに参ります事は、隠れない事でございますから、ある時、それをかせにして、御同輩の誰彼が、手を換え品を換え、いろいろと問い落そうと御かかりになりました。すると鴉の左大弁様は、苦しまぎれの御一策に、
「いや、あれは何もわたしおもいを懸けているばかりではない。実は姫の方からも、心ありげな風情ふぜいを見せられるので、ついつい足が茂くなるのだ。」と、こう御逃げになりました。しかもそれを誠らしく見せかけようと云う出来心から、御姫様から頂いた御文の文句や、御歌などを、ある事もない事も皆一しょに取つくろって、さも御姫様の方が心をこがしていらっしゃるように、御話しになったからたまりません。元より悪戯好いたずらずきな御同輩たちは、半信半疑でいらっしゃりながら、早速御姫様の偽手紙をこしらえて、折からのふじの枝か何かにつけたまま、それを左大弁様の許へ御とどけになりました。
 こちらは京極の左大弁様で、何事かと胸を轟かせながら、あわてて御文を開けて見ますと、思いもよらず御姫様は、いかに左大弁様を思いわびてもとんとつれなく御もてなしになるから、所詮かなわぬ恋とあきらめて、尼法師あまほうしの境涯にはいると云う事が、いかにももの哀れに書いてあるではございませんか。まさかそうまで御姫様が、思いつめていらっしゃろうとは、夢にも思召おぼしめさなかったのでございますから、鴉の左大弁様は悲しいとも、嬉しいともつかない御心もちで、しばらくはただ、茫然と御文を前にひろげたまま、溜息ためいきをついていらっしゃいました。が、何はともあれ、御眼にかかって、今まで胸にひそめていたおもいのほども申し上げようと、こう思召したのでございましょう。丁度五月雨さみだれの暮方でございましたが、童子を一人御伴に御つれになって、おおかさをかざしながら、ひそかに二条西洞院にしのとういんの御屋形まで参りますと、御門ごもんは堅くとざしてあって、いくら音なっても叩いても、開ける気色けしきはございません。そうこうする内に夜になって、人の往来ゆききも稀な築土路ついじみちには、ただ、かわずの声が聞えるばかり、雨はますます降りしきって、御召物も濡れれば、御眼もくらむと云う情ない次第でございます。
 それがほど経てから、御門の扉が、やっと開いたと思いますと、平太夫へいだゆうと申しますわたくしくらいの老侍おいざむらいが、これも同じような藤の枝に御文を結んだのを渡したなり、無言でまた、その扉をぴたりと閉めてしまいました。
 そこで泣く泣く御立ち帰りになって、その御文を開けて御覧になると、一首の古歌がちらし書きにしてあるだけで、一言もほかには御便りがございません。
  思へども思はずとのみ云ふなればいなや思はじ思ふかひなし
 これは云うまでもなく御姫様が、悪戯いたずら好きの若殿原から、細々こまごまと御消息で、からすの左大弁様の心なしを御承知になっていたのでございます。

        八

 こう御話し致しますと、中には世の常の姫君たちに引き比べて、この御姫様の御行状ごぎょうじょうを、嘘のように思召す方もいらっしゃいましょうが、現在私が御奉公致している若殿様の事を申し上げながら、何もそのような空事そらごとをさし加えよう道理はございません。その頃洛中らくちゅうで評判だったのは、この御姫様ともう御一方、これは虫が大御好きで、長虫ながむしまでも御飼いになったと云う、不思議な御姫様がございました。このあとの御姫様の事は、全くの余談でございますから、ここには何も申し上げますまい。が、中御門なかみかどの御姫様は、何しろ御両親とも御隠れになって、御屋形にはただ、先刻御耳に入れました平太夫へいだゆうかしらにして、御召使の男女なんにょが居りますばかり、それに御先代から御有福で、何御不自由もございませんでしたから、自然御美しいのと、御闊達なのとに御任せなすって、随分世を世とも思わない、御放胆な真似もなすったのでございます。
 そこで噂を立て易い世間には、この御姫様御自身が、実は少納言様の北のかたと大殿様との間に御生まれなすったので、父君の御隠れなすったのも、恋の遺恨いこんで大殿様が毒害遊ばしたのだなどと申すやからも出て来るのでございましょう。しかし少納言様の急に御歿おなくなりになった御話は、前に一応申上げました通り、さらにそのような次第ではございませんから、その噂は申すまでもなく、皆跡方あとかたのない嘘でございます。さもなければ若殿様も、決してあれほどまでは御姫様へ、心を御寄せにはなりますまい。
 何でも私が人伝ひとづてうけたまわりました所では、初めはいくら若殿様の方で御熱心でも、御姫様はかえって誰よりも、素気すげなく御もてなしになったとか申す事でございます。いや、そればかりか、一度などは若殿様の御文を持って上った私のおいに、あの鴉の左大弁様同様、どうしても御門の扉を御開けにならなかったとかでございました。しかもあの平太夫へいだゆうが、なぜか堀川の御屋形のものをかたきのように憎みまして、その時も梨の花に、うらうらと春日はるび※(「均-土」、第3水準1-14-75)におっている築地ついじの上から白髪頭しらがあたまあらわして、檜皮ひわだ狩衣かりぎぬの袖をまくりながら、推しても御門を開こうとする私の甥に、
「やい、おのれは昼盗人ひるぬすびとか。盗人とあれば容赦ようしゃはせぬ。一足でも門内にはいったが最期さいご、平太夫が太刀たちにかけて、まっ二つに斬って捨てるぞ。」と、噛みつくようにわめきました。もしこれが私でございましたら、刃傷沙汰にんじょうざたにも及んだでございましょうが、甥はただ、道ばたの牛のまりつぶて代りに投げつけただけで、帰って来たと申して居りました。かような次第でございますから、元より御文が無事に御手許にとどいても、とんと御返事と申すものは頂けません。が、若殿様は、一向それにも御頓着なく、三日にあげず、御文やら御歌やら、あるいはまた結構な絵巻やらを、およそものの三月あまりも、根気よく御遣おつかわしになりました。さればこそ、日頃も仰有おっしゃる通り、「あの頃の予が夢中になって、つたない歌や詩を作ったのは、皆恋がさせたわざじゃ。」に、少しも違いはなかったのでございます。

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