五
でございますから若殿様が、御家督を御取りになったその日の内から、御屋形の中へはどこからともなく、今までにない長閑な景色が、春風のように吹きこんで参りました。歌合せ、花合せ、あるいは艶書合せなどが、以前にも増して度々御催しになられたのは、申すまでもございますまい。それからまた、女房たちを始め、侍どもの風俗が、まるで昔の絵巻から抜け出して来たように、みやびやかになったのも、元よりの事でございます。が、殊に以前と変ったのは、御屋形の御客に御出でになる上つ方の御顔ぶれで、今はいかに時めいている大臣大将でも、一芸一能にすぐれていらっしゃらない方は、滅多に若殿様の御眼にはかかれません。いや、たとい御眼にかかれたのにしても、御出でになる方々が、皆風流の才子ばかりでいらっしゃいますから、さすがに御身を御愧じになって、自然御み足が遠くなってしまうのでございます。
その代りまた、詩歌管絃の道に長じてさえ居りますれば、無位無官の侍でも、身に余るような御褒美を受けた事がございます。たとえば、ある秋の夜に、月の光が格子にさして、機織りの声が致して居りました時、ふと人を御召しになると、新参の侍が参りましたが、どう思召したのか、急にその侍に御向いなすって、
「機織りの声が致すのは、その方にも聞えような。これを題に一首仕れ。」と、御声がかりがございました。するとその侍は下にいて、しばらく頭を傾けて居りましたが、やがて、「青柳の」と、初の句を申しました。するとその季節に合わなかったのが、可笑かったのでございましょう。女房たちの間には、忍び笑いの声が起りましたが、侍が続いて、
「みどりの糸をくりおきて夏へて秋は機織りぞ啼く。」と、さわやかに詠じますと、たちまちそれは静まり返って、萩模様のある直垂を一領、格子の間から月の光の中へ、押し出して下さいました。実はその侍と申しますのが、私の姉の一人息子で、若殿様とは、ほぼ御年輩も同じくらいな若者でございましたが、これを御奉公の初めにして、その後も度々難有い御懇意を受けたのでございます。
まず、若殿様の御平生は、あらあらかようなものでございましょうか。その間に北の方も御迎えになりましたし、年々の除目には御官位も御進みになりましたが、そう云う事は世上の人も、よく存じている事でございますから、ここにはとり立てて申し上げません。それよりも先を急ぎますから、最初に御約束致しました通り、若殿様の御一生に、たった一度しかなかったと云う、不思議な出来事の御話へはいる事に致しましょう。と申しますのは、大殿様とは御違いになって、天が下の色ごのみなどと云う御渾名こそ、御受けになりましたが、誠に御無事な御生涯で、そのほかには何一つ、人口に膾炙するような御逸事と申すものも、なかったからでございます。
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