二
御親子の間がらでありながら、大殿様と若殿様との間くらい、御容子から御性質まで、うらうえなのも稀でございましょう。大殿様は御承知の通り、大兵肥満でいらっしゃいますが、若殿様は中背の、どちらかと申せば痩ぎすな御生れ立ちで、御容貌も大殿様のどこまでも男らしい、神将のような俤とは、似もつかない御優しさでございます。これはあの御美しい北の方に、瓜二つとでも申しましょうか。眉の迫った、眼の涼しい、心もち口もとに癖のある、女のような御顔立ちでございましたが、どこかそこにうす暗い、沈んだ影がひそんでいて、殊に御装束でも召しますと、御立派と申しますより、ほとんど神寂ているとでも申し上げたいくらい、いかにももの静な御威光がございました。
が、大殿様と若殿様とが、取り分け違っていらしったのは、どちらかと云えば、御気象の方で、大殿様のなさる事は、すべてが豪放で、雄大で、何でも人目を驚かさなければ止まないと云う御勢いでございましたが、若殿様の御好みは、どこまでも繊細で、またどこまでも優雅な趣がございましたように存じて居ります。たとえば大殿様の御心もちが、あの堀川の御所に窺われます通り、若殿様が若王子に御造りになった竜田の院は、御規模こそ小そうございますが、菅相丞の御歌をそのままな、紅葉ばかりの御庭と申し、その御庭を縫っている、清らかな一すじの流れと申し、あるいはまたその流れへ御放しになった、何羽とも知れない白鷺と申し、一つとして若殿様の奥床しい御思召しのほどが、現れていないものはございません。
そう云う次第でございますから、大殿様は何かにつけて、武張った事を御好みになりましたが、若殿様はまた詩歌管絃を何よりも御喜びなさいまして、その道々の名人上手とは、御身分の上下も御忘れになったような、隔てない御つき合いがございました。いや、それもただ、そう云うものが御好きだったと申すばかりでなく、御自分も永年御心を諸芸の奥秘に御潜めになったので、笙こそ御吹きになりませんでしたが、あの名高い帥民部卿以来、三舟に乗るものは、若殿様御一人であろうなどと、噂のあったほどでございます。でございますから、御家の集にも、若殿様の秀句や名歌が、今に沢山残って居りますが、中でも世上に評判が高かったのは、あの良秀が五趣生死の図を描いた竜蓋寺の仏事の節、二人の唐人の問答を御聞きになって、御詠みになった歌でございましょう。これはその時磬の模様に、八葉の蓮華を挟んで二羽の孔雀が鋳つけてあったのを、その唐人たちが眺めながら、「捨身惜花思」と云う一人の声の下から、もう一人が「打不立有鳥」と答えました――その意味合いが解せないので、そこに居合わせた人々が、とかくの詮議立てをして居りますと、それを御聞きになった若殿様が、御持ちになった扇の裏へさらさらと美しく書き流して、その人々のいる中へ御遣しになった歌でございます。
身をすてて花を惜しやと思ふらむ打てども
立たぬ鳥もありけり
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