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猿(さる)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-16 8:56:47  点击:  切换到繁體中文

底本: 芥川龍之介全集 第一巻
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1995(平成7)年11月8日
入力に使用: 1995(平成7)年11月8日


底本の親本:
出版社: 春陽堂 
初版発行日: 1918(大正7)年7月8日

 

私が、遠洋航海をすませて、やつと半玉はんぎよく(軍艦では、候補生の事をかう云ふのです)の年期も終らうと云ふ時でした。私の乗つてゐたAが、横須賀へ入港してから、三日目の午後、彼是かれこれ三時頃でしたらう。勢よく例の上陸員整列の喇叭らつぱが鳴つたのです。確、右舷が上陸する順番になつてゐたと思ひますが、それが皆、上甲板へ整列したと思ふと、今度は、突然、総員集合の喇叭が鳴りました。勿論、唯事たゞごとではありません。何にも事情を知らない私たちは、艙口ハツチを上りながら、互に「どうしたのだらう」と云ひ交はしました。
 さて、総員が集合して見ると、副長がかう云ふのです。「……本艦内で、近来、盗難にかゝつた者が、二三ある。殊に、昨日、町の時計屋が来た際にも、銀側の懐中時計が二個、紛失したと云ふ事であるから、今日はこれから、総員の身体検査を行ひ、同時に所持品の検査も行ふ事にする。……」大体、こんな意味だつたと思ひます。時計屋の一件は、初耳はつみゝですが、盗難に罹つた者があるのは、僕たちも知つてゐました。何でも、兵曹が一人に水兵が二人で、皆、金をとられたと云ふ事です。
 身体検査ですから、勿論、皆、裸にさせられるのですが、幸、十月のはじめで、港内に浮んでゐる赤い浮標ブイに日がかんかん照りつけるのを見ると、まだ、夏らしい気がする時分なので、これはさう大して苦にもならなかつたやうです。が、弱つたのは、上陸早々、遊びに行く気でゐた連中で、検査をされると、ポツケツトから春画が出る、サツクが出ると云ふ騒ぎでせう。顔を赤くして、もぢもぢしたつて、追付きません。何でも、二三人は、士官オフイサアなぐられたやうでした。
 何しろ、総員六百人もあるのですから、一通り検査をするにしても、手間がとれます。奇観と云へば、まああの位、奇観はありますまい。六百人の人間が皆、裸で、上甲板一杯に、並んでゐるのですから。その中でも、顔や手首のまつ黒なのが、機関兵で、この連中は今度の盗難に、一時嫌疑をかけられた事があるものですから、猿股までぬいで、しらべるのならどこでも検べてくれと云ふ恐しいやうな権幕です。
 上甲板で、かう云ふ騒ぎが、始まつてゐる間に、中甲板や下甲板では、所持品の検査をやり出しました。艙口にはのこらず、候補生が配置してありますから、上甲板の連中は勿論下へは一足でもはいれません。私は、丁度、その中下甲板の検査をする役に当つたので、外の仲間と一しよに、兵員の衣嚢いのうやら手箱やらを検査して歩きました。こんな事をするのは軍艦に乗つてから、まだ始めてでしたが、ビイムの裏を探すとか衣嚢をのせてある棚の奥をかきまはすとか、思つたより、面倒な仕事です。その中に、やつと、私と同じ候補生の牧田と云ふ男が、贓品ざうひんを見つけました。時計も金も一つになつて、奈良島と云ふ信号兵の帽子の箱の中に、あつたのです。その外にまだ給仕がなくなしたと云ふ、青貝の柄のナイフも、はいつてゐたと云ふ事でした。
 そこで、「解散」から、すぐに「信号兵集れ」と云ふ事になりました。外の連中は悦んだの、悦ばないのではありません。殊に、機関兵などは、前に疑はれたと云ふかどがあるものですから、大へんな嬉しがりやうでした。――所が集つた信号兵を見ると、奈良島がゐません。
 僕は、まだ無経験だつたので、さう云ふ事は、まるで知りませんでしたが、軍艦では贓品が出ても、犯人の出ないと云ふ事が、時々あるのださうです。勿論、自殺をするのですが、十中八九は、石炭庫の中で首を縊るので、投身するのは、殆、ありません。もつとも一度、私の軍艦ふねでは、ナイフで腹を切つたのがゐたさうですが、これは死に切れない中に、発見されて命だけはとりとめたと云ふ事でした。
 さう云ふ事があるものですから、奈良島が見えないと云ふと、将校連も皆流石さすがに、ぎよつとしたやうでした。殊に、今でも眼についてゐるのは、副長の慌て方で、この前の戦争の時には、随分、驍名げうめいせた人ださうですが、その顔色を変へて、心配した事と云つたら、はた眼にも笑止せうしな位です。私たちは皆、それを見ては、互に、軽蔑の眼を交してゐました。ふだん精神修養の何のと云ふ癖に、あの狼狽らうばいのしかたはどうだと云ふ、腹があつたのです。
 そこで、すぐに、副長の命令で、艦内の捜索が始まりました。さうなると、一種の愉快な興奮に駆られるのは、私一人に限つた事ではないでせう。火事を見にゆく弥次馬の心もち――丁度、あんなものです。巡査が犯人を逮捕に行くとなると、向うが抵抗するかも知れないと云ふ不安があるでせうが、軍艦の中ではそんな事は、万々ありません。殊に、私たちと水兵との間には、上下の区別と云ふものが、げんとして、――軍人になつて見なければ、わからない程、厳としてありますから、それが、非常な強みです。私は、殆、踴躍ゆうやくして、艙口を駈け下りました。
 丁度、その時、私と一しよに、下へ来た連中の中に、牧田がゐましたが、これも、面白くつてたまらないと云ふ風で、後から、私の肩をたたきながら、
「おい、猿をつかまへた時の事を思出すな。」
と云ふのです。
「うん、今日の猿は、あいつ程敏捷でないから、大丈夫だ。」
「そんなにたかを括つてゐると、逃げられるぞ。」
「なに、逃げたつて、猿は猿だ。」
 こんな冗談を云ひながら、下へ下りました。
 この猿と云ふのは、遠洋航海で、オオストラリアへ行つた時に、ブリスベインで、砲術長が、誰かから貰つて来た猿の事です。それが、航海中、ウイルヘルムス、ハフエンへ入港する二日前に、艦長の時計を持つたなり、どこかへ行つてしまつたので、軍艦ふね中大騒ぎになりました。一つは、ながの航海で、無聊ぶれうに苦んでゐたと云ふ事もあるのですが、当の砲術長はもとより、私たち総出で、事業服のまま、下は機関室から上は砲塔まで、さがして歩く――一通りの混雑ではありません。それに、外の連中の貰つたり、買つたりした動物が沢山あるので、私たちが駈けて歩くと、犬が足にからまるやら、ペリカンが啼き出すやら、ロオプに吊つてある籠の中で、鸚哥いんこが、気のちがつたやうに、羽搏はばたきをするやら、まるで、曲馬小屋で、火事でも始まつたやうな体裁です。その中に、猿の奴め、どこをどうしたか、急に上甲板へ出て来て、時計を持つたまま、いきなりマストへ、駈け上らうとしました。丁度そこには、水兵が二三人仕事をしてゐたので勿論、逃がしつこはありません。すぐに、一人が、頸すぢをつかまへて、難なく、手捕りにしてしまひました。時計も、硝子がらすがこはれた丈で、大した損害もなくてすんだのです。あとで猿は、砲術長の発案で、まる二日、絶食の懲罰をうけたのですが、滑稽ではありませんか、その期限が切れない中に、砲術長自身、罰則を破つて、猿に、人参や芋を、やつてしまひました。さうして、「しよげてゐるのを見ると、猿にしても、可哀さうだからな」と、かう云ふのです。――これは、余事ですが、実際奈良島をさがして歩く私たちの心もちは、この猿を追ひかけた時の心もちと、可成かなりよく似てゐました。

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