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さまよえる猶太人(さまよえるユダヤじん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-16 8:55:31  点击:  切换到繁體中文


 第一に、記録はその船が「土産みやげ果物くだものくさぐさを積」んでいた事を語っている。だから季節は恐らく秋であろう。これは、後段に、無花果いちじゅく云々の記事が見えるのに徴しても、明である。それから乗合はほかにはなかったらしい。時刻は、丁度昼であった。――筆者は本文へはいる前に、これだけの事を書いている。従ってもし読者が当時の状景を彷彿ほうふつしようと思うなら、記録に残っている、これだけの箇条から、魚のうろこのようにまばゆく日の光を照り返している海面と、船に積んだ無花果いちじゅく柘榴ざくろの実と、そうしてその中に坐りながら、熱心に話し合っている三人の紅毛人こうもうじんとを、読者自身の想像に描いて見るよりほかはない。何故と云えば、それらを活々いきいきと描写する事は、単なる一学究たる自分にとって、到底不可能な事だからである。
 が、もし読者がそれに多少の困難を感ずるとすれば、ペックがその著「ヒストリイ・オブ・スタンフォオド」の中で書いている「さまよえる猶太人」の服装を、大体ここに紹介するのも、読者の想像を助ける上において、あるいは幾分の効果があるかも知れない。ペックはこう云っている。「彼の上衣うわぎは紫である。そうして腰まで、ボタンがかかっている。ズボンも同じ色で、やはり見た所古くはないらしい。靴下はまっ白であるが、リンネルか、毛織りか、見当がつかなかった。それからひげも髪も、両方とも白い。手には白い杖を持っていた。」――これは、前に書いた肺病やみのサムエル・ウォリスが、親しく目撃した所を、ペックが記録して置いたのである。だから、フランシス・ザヴィエルがった時も、彼は恐らくこれに類した服装をしていたのに違いない。
 そこで、それがどうして、「さまよえる猶太人」だとわかったかと云うと、「上人しょうにんの祈祷された時、その和郎わろうも恭しく祈祷した」ので、フランシスの方から話をしかけたのだそうである。所が、話して見ると、どうも普通の人間ではない。話すことと云い、話し振りと云い、その頃東洋へ浮浪して来た冒険家や旅行者とは、おのずか容子ようすがちがっている。「天竺てんじく南蛮の今昔こんじゃくを、たなごころにてもゆびさすように」したので、「シメオン伊留満いるまんはもとより、上人しょうにん御自身さえ舌を捲かれたそうでござる。」そこで、「そなたは何処のものじゃと御訊おたずねあったれば、一所不住いっしょふじゅうのゆだやびと」と答えた。が、上人も始めは多少、この男の真偽を疑いかけていたのであろう。「当来の波羅葦僧はらいそうにかけても、誓い申すべきや。」と云ったら、相手が「誓い申すとの事故、それより上人も打ちとけて、種々くさぐさ問答せられたげじゃ。」と書いてあるが、その問答を見ると、最初の部分は、ただ昔あった事実を尋ねただけで、宗教上の問題には、ほとんど一つも触れていない。
 それがウルスラ上人と一万一千の童貞どうてい少女しょうじょが、「奉公の死」を遂げた話や、パトリック上人の浄罪界じょうざいかいの話を経て、次第に今日の使徒行伝しとぎょうでん中の話となり、進んでは、ついに御主おんあるじ耶蘇基督エス・クリストが、ゴルゴダで十字架くるすを負った時の話になった。丁度この話へ移る前に、上人が積荷の無花果いちじゅくを水夫に分けて貰って、「さまよえる猶太人」と一しょに、食ったと云う記事がある。前に季節の事に言及した時に引いたから、ここに書いて置くが、勿論大した意味がある訳ではない。――さて、その問答を見ると、大体しものような具合である。
 上人しょうにん御主おんあるじ御受難のみぎりは、エルサレムにいられたか。」
「さまよえる猶太人」「如何いかにも、のあたりに御受難のおん有様を拝しました。元来それがしは、よせふと申して、えるされむに住む靴匠くつしょうでござったが、当日は御主おんあるじがぴらと殿どの裁判さばきを受けられるとすぐに、一家のものどもを戸口とぐちへ呼び集めて、勿体もったいなくも、御主の御悩みを、笑い興じながら、見物したものでござる。」
 記録の語る所によると、クリストは、「物に狂うたような群集の中を」、パリサイの徒と祭司さいしとに守られながら、十字架くるすを背にした百姓の後について、よろめき、歩いて来た。肩には、紫の衣がかかっている。ひたいには荊棘いばらかんむりがのっている。そうしてまた、手や足には、むちあとや切りきずが、薔薇ばらの花のように赤く残っている。が、だけは、ふだんと少しも変りがない。「日頃のように青く澄んだ御眼おんめ」は、悲しみも悦びも超越した、不思議な表情を湛えている。――これは、「ナザレの木匠もくしょうの子」の教を信じない、ヨセフの心にさえ異常な印象を与えた。彼の言葉を借りれば、「それがしも、その頃やはり御主おんあるじの眼を見る度に、何となくなつかしい気が起ったものでござる。大方おおかた死んだ兄と、よう似た眼をしていられたせいでもござろう。」
 そのうちにクリストは、埃と汗とにまみれながら、折から通りかかった彼の戸口に足をとどめて、暫く息を休めようとした。そこには、靱皮なめしがわの帯をしめて、わざと爪を長くしたパリサイの徒もいた事であろうし、髪に青い粉をつけて、ナルドの油の匂をさせた娼婦たちもいた事であろう。あるいはまた、羅馬ロオマの兵卒たちの持っているたてが、右からも左からも、まばゆく暑い日の光を照りかえしていたかも知れない。が、記録にはただ、「多くの人々」と書いてある。そうして、ヨセフは、その「多くの人々の手前、祭司たちへの忠義ぶりが見せとうござったによって、」クリストの足を止めたのを見ると、片手に子供をいだきながら、片手に「人の子」の肩を捕えて、ことさらに荒々しくこずきまわした。――「やがては、ゆるりと磔柱はりきにかって、休まるるからだじゃなど悪口あっこうし、あまつさえ手をあげて、打擲ちょうちゃくさえしたものでござる。」
 すると、クリストは、静に頭をあげて、叱るようにヨセフを見た。彼が死んだ兄に似ていると思った眼で、おごそかにじっと見たのである。「行けと云うなら、行かぬでもないが、その代り、その方はわしの帰るまで、待って居れよ。」――クリストの眼を見ると共に、彼はこう云うことばが、熱風よりもはげしく、刹那に彼の心へ焼けつくような気もちがした。クリストが、実際こう云ったかどうか、それは彼自身にも、はっきりわからない。が、ヨセフは、「こののろい心耳しんじにとどまって、いても立っても居られぬような気に」なったのであろう。あげた手がおのずから垂れ、心頭にあった憎しみが自ら消えると、彼は、子供を抱いたまま、思わず往来にひざまずいて、爪をがしているクリストの足に、恐る恐る唇をふれようとした。が、もう遅い。クリストは、兵卒たちに追い立てられて、すでに五六歩彼の戸口を離れている。ヨセフは、茫然として、ややともすると群集にまぎれようとする御主おんあるじの紫の衣を見送った。そうして、それと共に、云いようのない後悔の念が、心の底から動いて来るのを意識した。しかし、誰一人彼に同情してくれるものはない。彼の妻や子でさえも、彼のこの所作しょさを、やはり荊棘いばらの冠をかぶらせるのと同様、クリストに対する嘲弄ちょうろうだと解釈した。そして往来の人々が、いよいよ面白そうに笑い興じたのは、無理もない話である。――石をも焦がすようなエルサレムの日の光の中に、濛々と立騰たちのぼ砂塵さじんをあびせて、ヨセフは眼に涙を浮べながら、腕の子供をいつか妻にきとられてしまったのも忘れて、いつまでもひざまずいたまま、動かなかった。……「されば恐らく、えるされむは広しと云え、御主おんあるじはずかしめた罪を知っているものは、それがしひとりでござろう。罪を知ればこそ、呪もかかったのでござる。罪を罪とも思わぬものに、天の罰が下ろうようはござらぬ。云わば、御主を磔柱はりきにかけた罪は、それがしひとりが負うたようなものでござる。但し罰をうければこそ、あがないもあると云う次第ゆえ、やがて御主の救抜きゅうばつを蒙るのも、それがしひとりにきわまりました。罪を罪と知るものには、総じて罰とあがないとが、ひとつに天から下るものでござる。」――「さまよえる猶太人」は、記録の最後で、こう自分の第二の疑問に答えている。この答の当否を穿鑿せんさくする必要は、暫くない。ともかくも答を得たと云う事が、それだけですでに自分を満足させてくれるからである。
「さまよえる猶太人」に関して、自分の疑問に対する答を、東西の古文書こもんじょの中に発見した人があれば、自分はせつに、その人が自分のために高教をおしまない事を希望する。また自分としても、如上の記述に関する引用書目を挙げて、いささかこの小論文の体裁を完全にしたいのであるが、生憎あいにくそうするだけの余白が残っていない。自分はただここに、「さまよえる猶太人」の伝記の起源が、馬太伝またいでんの第十六章二十八節と馬可伝まこでんの第九章一節とにあると云うベリンググッドの説を挙げて、一先ずペンをとどめる事にしようと思う。

(大正六年五月十日)




 



底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
   1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:earthian
1998年11月11日公開
2004年3月9日修正
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