您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 芥川 竜之介 >> 正文

戯作三昧(げさくざんまい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-15 16:15:03  点击:  切换到繁體中文



     十

 ひとりで寂しい昼飯をすませた彼は、ようやく書斎へひきとると、なんとなく落ち着きがない、不快な心もちを鎮めるために、久しぶりで水滸伝すいこでんを開いて見た。偶然開いたところは豹子頭林冲ひょうしとうりんちゅうが、風雪の夜に山神廟さんじんびょうで、草秣場まぐさばの焼けるのを望見するくだりである。彼はその戯曲的な場景に、いつもの感興を催すことが出来た。が、それがあるところまで続くとかえって妙に不安になった。
 仏参ぶっさんに行った家族のものは、まだ帰って来ない。うちの中はしんとしている。彼は陰気な顔を片づけて、水滸伝を前にしながら、うまくもない煙草を吸った。そうしてその煙の中に、ふだんから頭の中に持っている、ある疑問を髣髴ほうふつした。
 それは、道徳家としての彼と芸術家としての彼との間に、いつも纏綿てんめんする疑問である。彼は昔から「先王せんおうの道」を疑わなかった。彼の小説は彼自身公言したごとく、まさに「先王の道」の芸術的表現である。だから、そこに矛盾はない。が、その「先王の道」が芸術に与える価値と、彼の心情が芸術に与えようとする価値との間には、存外大きな懸隔けんかくがある。従って彼のうちにある、道徳家が前者を肯定するとともに、彼の中にある芸術家は当然また後者を肯定した。もちろんこの矛盾を切り抜ける安価な妥協的思想もないことはない。実際彼は公衆に向ってこの煮え切らない調和説の背後に、彼の芸術に対する曖昧あいまいな態度を隠そうとしたこともある。
 しかし公衆は欺かれても、彼自身は欺かれない。彼は戯作げさくの価値を否定して「勧懲かんちょうの具」と称しながら、常に彼のうちに※(「石+薄」、第3水準1-89-18)ぼうはくする芸術的感興に遭遇すると、たちまち不安を感じ出した。――水滸伝の一節が、たまたま彼の気分の上に、予想外の結果を及ぼしたのにも、実はこんな理由があったのである。
 この点において、思想的に臆病だった馬琴は、黙然として煙草をふかしながら、いて思量を、留守にしている家族の方へ押し流そうとした。が、彼の前には水滸伝がある。不安はそれを中心にして、容易に念頭を離れない。そこへ折よく久しぶりで、崋山渡辺登かざんわたなべのぼるが尋ねて来た。袴羽織はかまはおりに紫の風呂敷包ふろしきづつみを小脇こわきにしているところでは、これはおおかた借りていた書物でも返しに来たのであろう。
 馬琴は喜んで、この親友をわざわざ玄関まで、迎えに出た。
今日こんにちは拝借した書物を御返却かたがた、お目にかけたいものがあって、参上しました。」
 崋山は書斎に通ると、はたしてこう言った。見れば風呂敷包みのほかにも紙に巻いた絵絹えぎぬらしいものを持っている。
「お暇なら一つ御覧を願いましょうかな。」
「おお、さっそく、拝見しましょう。」
 崋山はある興奮に似た感情を隠すように、ややわざとらしく微笑しながら、紙の中の絵絹をひらいて見せた。絵は蕭索しょうさくとした裸のを、遠近おちこちまばらえがいて、その中にたなごころをうって談笑する二人の男を立たせている。林間に散っている黄葉こうようと、林梢りんしょうに群がっている乱鴉らんあと、――画面のどこをながめても、うそ寒い秋の気が動いていないところはない。
 馬琴の眼は、この淡彩の寒山拾得かんざんじっとくに落ちると、次第にやさしい潤いを帯びて輝き出した。
「いつもながら、結構なお出来ですな。私は王摩詰おうまきつを思い出します。食随鳴磬巣烏下しょくはめいけいにしたがいそううくだり行踏空林落葉声ゆいてくうりんをふめばらくようこえありというところでしょう。」

上一页  [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]  ... 下一页  >>  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告