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戯作三昧(げさくざんまい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-15 16:12:47  点击:  切换到繁體中文



       九

 和泉屋市兵衛をひ帰すと、馬琴は独り縁側の柱へよりかかつて、狭い庭の景色を眺めながら、まだをさまらない腹の虫を、無理にをさめようとして、骨を折つた。
 日の光を一ぱいに浴びた庭先には、葉の裂けた芭蕉ばせうや、坊主になりかかつた梧桐あをぎりが、まきや竹の緑と一しよになつて、暖かく何坪かの秋を領してゐる。こつちの手水鉢てうづばちの側にある芙蓉ふようは、もう花がまばらになつたが、向うの袖垣の外に植ゑた木犀もくせいは、まだその甘い匂が衰へない。そこへ例のとびの声がはるかな青空の向うから、時々笛を吹くやうに落ちて来た。
 彼は、この自然と対照させて、今更のやうに世間の下等さを思出した。下等な世間に住む人間の不幸は、その下等さにわづらはされて、自分も亦下等な言動を余儀なくさせられる所にある。現に今自分は、和泉屋市兵衛をひ払つた。逐ひ払ふと云ふ事は、勿論高等な事でも何でもない。が、自分は相手の下等さによつて、自分も亦その下等な事を、しなくてはならない所まで押しつめられたのである。さうして、した。したと云ふ意味は市兵衛と同じ程度まで、自分を卑くしたと云ふのに外ならない。つまり自分は、それ丈堕落させられた訳である。
 ここまで考へた時に、彼はそれと同じやうな出来事を、近い過去の記憶に発見した。それは去年の春、彼の所へ弟子入りをしたいと云つて手紙をよこした、相州さうしう朽木くちき上新田かみしんでんとかの長島政兵衛ながしままさべゑと云ふ男である。この男はその手紙によると、二十一の年につんぼになつて以来、廿四の今日まで文筆を以て天下に知られたいと云ふ決心で、もつぱ読本よみほんの著作に精を出した。八犬伝や巡島記じゆんたうきの愛読者である事は云ふまでもない。就いてはかう云ふ田舎ゐなかにゐては、何かと修業のさまたげになる。だから、あなたの所へ、食客に置いて貰ふ訳には行くまいか。それから又、自分は六冊物の読本の原稿を持つてゐる。これもあなたの筆削ひつさくを受けて、然るべき本屋から出版したい。――大体こんな事を書いてよこした。向うの要求は、勿論皆馬琴にとつて、余りに虫のいい事ばかりである。が、耳の遠いと云ふ事が、眼の悪いのを苦にしてゐる彼にとつて、幾分の同情を繋ぐ楔子くさびになつたのであらう。折角だが御依頼通りになり兼ねると云ふ彼の返事は、むしろ彼としては、鄭重ていちようを極めてゐた。すると、折返して来た手紙には、始から仕舞まで猛烈な非難の文句の外に、何一つ書いてない。
 自分はあなたの八犬伝と云ひ、巡島記と云ひ、あんな長たらしい、拙劣な読本よみほんを根気よく読んであげたが、あなたは私のたつた六冊物の読本に眼を通すのさへこばまれた。以てあなたの人格の下等さがわかるではないか。――手紙はかう云ふ文句ではじまつて、先輩として後輩を食客に置かないのは、鄙吝ひりんの為す所だと云ふ攻撃で、僅に局を結んでゐる。馬琴は腹が立つたから、すぐに返事を書いた。さうしてその中に、自分の読本が貴公のやうな軽薄児に読まれるのは、一生の恥辱だと云ふ文句を入れた。その後えうとして消息を聞かないが、彼はまだ今まで、読本の稿を起してゐるだらうか。さうしてそれが何時いつか日本中の人間に読まれる事を、夢想してゐるだらうか。…………
 馬琴はこの記憶の中に、長島政兵衛なるものに対する情無さと、彼自身に対する情無さとを同時に感ぜざるを得なかつた。さうしてそれは又彼を、云ひやうのない寂しさに導いた。が、日は無心に木犀もくせいの匂を融かしてゐる。芭蕉や梧桐も、ひつそりとして葉を動かさない。とびの声さへ以前の通りほがらかである。この自然とあの人間と――十分の後、下女の杉が昼飯の支度の出来た事を知らせに来た時まで、彼はまるで夢でも見てゐるやうに、ぼんやり縁側の柱にりつづけてゐた。

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