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戯作三昧(げさくざんまい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-15 16:12:47  点击:  切换到繁體中文



       五

 しかし、銭湯を出た時の馬琴の気分は、沈んでゐた。眇の毒舌は、少くともこれだけの範囲で、確に予期した成功を収め得たのである。彼は秋晴れの江戸の町を歩きながら、風呂の中で聞いた悪評を、一々彼の批評眼にかけて、綿密に点検した。さうして、それが、如何なる点から考へて見ても、一顧の価のない愚論だと云ふ事実を、即座に証明する事が出来た。が、それにも関らず、一度乱された彼の気分は、容易に元通り、落着きさうもない。
 彼は不快な眼を挙げて、両側の町家を眺めた。町家のものは、彼の気分とは没交渉に、皆その日の生計を励んでゐる。だから「諸国銘葉しよこくめいえふ」の柿色の暖簾のれん、「本黄楊ほんつげ」の黄いろい櫛形の招牌かんばん、「駕籠かご」の掛行燈かけあんどう、「卜筮ぼくぜい」の算木さんぎの旗、――さう云ふものが、無意味な一列を作つて、ただ雑然と彼の眼底を通りすぎた。
「どうしておれは、己の軽蔑してゐる悪評に、かうわづらはされるのだらう。」
 馬琴は又、考へつづけた。
おれを不快にするのは、第一にあのすがめが己に悪意を持つてゐると云ふ事実だ。人に悪意を持たれると云ふ事は、その理由の如何いかんに関らず、それだけで己には不快なのだから、仕方がない。」
 彼は、かう思つて、自分の気の弱いのを恥ぢた。実際彼の如く傍若無人ばうじやくぶじんな態度に出る人間が少かつたやうに、彼の如く他人の悪意に対して、敏感な人間も亦少かつたのである。さうして、この行為の上では全く反対に思はれる二つの結果が、実は同じ原因――同じ神経作用から来てゐると云ふ事実にも、勿論彼はとうから気がついてゐた。
「しかし、己を不快にするものは、まだほかにもある。それは己があの眇と、対抗するやうな位置に置かれたと云ふ事だ。己は昔からさう云ふ位置に身を置く事を好まない。勝負事をやらないのも、その為だ。」
 ここまで分析して来た彼の頭は、更に一歩を進めると同時に、思ひもよらない変化を、気分の上に起させた。それはかたくむすんでゐた彼の唇が、この時急にゆるんだのを見ても、知れる事であらう。
「最後に、さう云ふ位置へ己を置いた相手が、あの眇だと云ふ事実も、確に己を不快にしてゐる。もしあれがもう少し高等な相手だつたら、己はこの不快を反撥はんぱつする丈の、反抗心を起してゐたのに相違ない。何にしても、あの眇が相手では、いくら己でも閉口する筈だ。」
 馬琴は苦笑しながら、高い空を仰いだ。その空からは、ほがらかなとびの声が、日の光と共に、雨の如く落ちて来る。彼は今まで沈んでゐた気分が次第に軽くなつて来る事を意識した。
「しかし、眇がどんな悪評を立てようとも、それは精々、己を不快にさせる位だ。いくら鳶が鳴いたからと云つて、天日の歩みが止まるものではない。己の八犬伝は必ず完成するだらう。さうしてその時は、日本が古今に比倫ひりんのない大伝奇を持つ時だ。」
 彼は恢復くわいふくした自信をいたはりながら、細い小路を静に家の方へ曲つて行つた。

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