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戯作三昧(げさくざんまい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-15 16:12:47  点击:  切换到繁體中文



       四

 柘榴口の中は、夕方のやうにうす暗い。それに湯気が、霧よりも深くこめてゐる。眼の悪い馬琴は、その中にゐる人々の間を、あぶなさうに押しわけながら、どうにか風呂の隅をさぐり当てると、やつとそこへ皺だらけな体を浸した。
 湯加減は少し熱い位である。彼はその熱い湯が爪の先にしみこむのを感じながら、長い呼吸いきをして、おもむろに風呂の中を見廻はした。うす暗い中に浮んでゐる頭の数は、七つ八つもあらうか。それが皆話しをしたり、唄をうたつたりしてゐるまはりには、人間の脂をとかした、なめらかな湯のおもてが、柘榴口からさす濁つた光に反射して、退屈さうにたぶたぶと動いてゐる。そこへ胸の悪い「銭湯の匂」がむんと人の鼻をいた。
 馬琴の空想には、昔から羅曼的ロマンテイクな傾向がある。彼はこの風呂の湯気の中に、彼が描かうとする小説の場景の一つを、思ひ浮べるともなく思ひ浮べた。そこには重い舟日覆ふなひおひがある。日覆の外の海は、日の暮と共に風が出たらしい。ふなべりをうつ浪の音が、まるで油を揺るやうに、重苦しく聞えて来る。その音と共に、日覆をはためかすのは大方蝙蝠かうもりの羽音であらう。舟子かこの一人は、それを気にするやうに、そつと舷から外を覗いて見た。霧の下りた海の上には、赤い三日月が陰々いんいんと空に懸つてゐる。すると……
 彼の空想は、ここまで来て、急に破られた。同じ柘榴口の中で、誰か彼の読本よみほんの批評をしてゐるのが、ふと彼の耳へはいつたからである。しかも、それは声と云ひ、話様はなしやうと云ひ、殊更彼に聞かせようとして、しやべり立ててゐるらしい。馬琴は一旦風呂を出ようとしたが、やめて、ぢつとその批評を聞き澄ました。
「曲亭先生の、著作堂主人のと、大きな事を云つたつて、馬琴なんぞの書くものは、みんなありや焼直しでげす。早い話が八犬伝は、手もなく水滸伝すゐこでんの引写しぢやげえせんか。が、そりやまあ大目に見ても、いい筋がありやす。何しろ先がからの物でげせう。そこで、まづそれを読んだと云ふ丈でも、一手柄さ。所がそこへ又づぶ京伝きやうでん二番煎にばんせんじと来ちや、呆れ返つて腹も立ちやせん。」
 馬琴はかすむ眼で、この悪口を云つてゐる男の方をすかして見た。湯気にさへぎられて、はつきりと見えないが、どうもさつき側にゐたすがめの小銀杏ででもあるらしい。さうとすればこの男は、さつき平吉が八犬伝を褒めたのにごふを煮やして、わざと馬琴に当りちらしてゐるのであらう。
「第一馬琴の書くものは、ほんの筆先一点張りでげす。まるで腹には、何にもありやせん。あればまづ寺子屋てらこやの師匠でも云ひさうな、四書五経ししよごきやうの講釈だけでげせう。だから又当世の事は、とんと御存じなしさ。それが証拠にや、昔の事でなけりや、書いたと云ふためしはとんとげえせん。おそめ久松ひさまつがお染久松ぢや書けねえもんだから、そら松染情史秋七草しやうせんじやうしあきのななくささ。こんな事は、馬琴大人たいじんの口真似をすれば、そのためしさはに多かりでげす。」
 憎悪の感情は、どつちか優越の意識を持つてゐる以上、起したくも起されない。馬琴も相手の云ひぐさが癪にさはりながら、妙にその相手が憎めなかつた。その代りに彼自身の軽蔑を、表白してやりたいと云ふ欲望がある。それが実行に移されなかつたのは、恐らく年齢が歯止めをかけたせゐであらう。
「そこへ行くと、一九いつく三馬さんばは大したものでげす。あの手合ひの書くものには天然自然の人間が出てゐやす。決して小手先の器用や生噛なまかじりの学問で、でつちあげたものぢやげえせん。そこが大きに蓑笠軒隠者さりふけんいんじやなんぞとは、ちがふ所さ。」
 馬琴の経験によると、自分の読本の悪評を聞くと云ふ事は、単に不快であるばかりでなく、危険も亦少くない。と云ふのは、その悪評を是認する為に、勇気が沮喪そさうすると云ふ意味ではなく、それを否認する為に、その後の創作的動機に、反動的なものが加はると云ふ意味である。さうしてさう云ふ不純な動機から出発する結果、しばしば畸形な芸術を創造するおそれがあると云ふ意味である。時好に投ずることのみを目的としてゐる作者は別として、少しでも気魄きはくのある作者なら、この危険には存外陥り易い。だから馬琴は、この年まで自分の読本に対する悪評は、成る可く読まないやうに心がけて来た。が、さう思ひながらも亦、一方には、その悪評を読んで見たいと云ふ誘惑がないでもない。今、この風呂で、この小銀杏の悪口を聞くやうになつたのも、なかばはその誘惑に陥つたからである。
 かう気のついた彼は、すぐに便々べんべんとまだ湯に浸つてゐる自分の愚を責めた。さうして、癇高かんだかい小銀杏の声を聞き流しながら、柘榴口を外へ勢ひよくまたいで出た。外には、湯気の間に窓の青空が見え、その青空には暖く日を浴びた柿が見える。馬琴は水槽みづぶねの前へ来て、心静に上り湯を使つた。
「兎に角、馬琴は食はせ物でげす。日本の羅貫中もよく出来やした。」
 しかし風呂の中ではさつきの男が、まだ馬琴がゐるとでも思ふのか、依然として猛烈なフイリツピクスを発しつづけてゐる。事によると、これはそのすがめわざはひされて、彼の柘榴口を跨いで出る姿が、見えなかつたからかも知れない。

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