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戯作三昧(げさくざんまい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-15 16:12:47  点击:  切换到繁體中文



       十

 独りで寂しい昼飯をすませた彼は、やうやく書斎へひきとると、何となく落着がない、不快な心もちをしづめる為に、久しぶりで水滸伝すゐこでんを開いて見た。偶然開いた所は豹子へうし頭林冲とうりんちゆうが、風雪の夜に山神廟さんじんべうで、草秣場まぐさばの焼けるのを望見するくだりである。彼はその戯曲的な場景に、何時もの感興を催す事が出来た。が、それが或所まで続くとかへつて妙に不安になつた。
 仏参ぶつさんに行つた家族のものは、まだ帰つて来ない。内の中はしんとしてゐる。彼は陰気な顔を片づけて、水滸伝を前にしながら、うまくもない煙草を吸つた。さうしてその煙の中に、ふだんから頭の中に持つてゐる、或疑問を髣髴はうふつした。
 それは、道徳家としての彼と芸術家としての彼との間に、何時も纏綿てんめんする疑問である。彼は昔から「先王せんわうの道」を疑はなかつた。彼の小説は彼自身公言した如く、正に「先王の道」の芸術的表現である。だから、そこに矛盾はない。が、その「先王の道」が芸術に与へる価値と、彼の心情が芸術に与へようとする価値との間には、存外大きな懸隔がある。従つて彼の中にある、道徳家が前者を肯定すると共に、彼の中にある芸術家は当然又後者を肯定した。勿論此矛盾を切抜ける安価な妥協的思想もない事はない。実際彼は公衆に向つて此煮切らない調和説の背後に、彼の芸術に対する曖昧あいまいな態度を隠さうとした事もある。
 しかし公衆は欺かれても、彼自身は欺かれない。彼は戯作げさくの価値を否定して「勧懲くわんちようの具」と称しながら、常に彼の中に※(「石+薄」、第3水準1-89-18)ばうはくする芸術的感興に遭遇すると、忽ち不安を感じ出した。――水滸伝の一節が、たまたま彼の気分の上に、予想外の結果を及ぼしたのにも、実はこんな理由があつたのである。
 この点に於て、思想的に臆病だつた馬琴は、黙然として煙草をふかしながら、強ひて思量を、留守にしてゐる家族の方へ押し流さうとした。が、彼の前には水滸伝がある。不安はそれを中心にして、容易に念頭を離れない。そこへ折よく久しぶりで、崋山くわざん渡辺登わたなべのぼるが尋ねて来た。袴羽織に紫の風呂敷包を小脇にしてゐる所では、これは大方借りてゐた書物でも返しに来たのであらう。
 馬琴は喜んで、この親友をわざわざ玄関まで、迎へに出た。
「今日は拝借した書物を御返却かたがた、御目にかけたいものがあつて、参上しました。」
 崋山は書斎に通ると、果してかう云つた。見れば風呂敷包みの外にも紙に巻いた絵絹ゑぎぬらしいものを持つてゐる。
「御暇なら一つ御覧を願ひませうかな。」
「おお、早速、拝見しませう。」
 崋山は或興奮に似た感情を隠すやうに、ややわざとらしく微笑しながら、紙の中の絵絹をひらいて見せた。絵は蕭索せうさくとした裸の樹を、遠近をちこちまばらに描いて、その中にたなごころつて談笑する二人の男を立たせてゐる。林間に散つてゐる黄葉と、林梢りんせうむらがつてゐる乱鴉らんあと、――画面のどこを眺めても、うそ寒い秋の気が動いてゐない所はない。
 馬琴の眼は、この淡彩の寒山拾得かんざんじつとくに落ちると、次第にやさしいうるほひを帯びて輝き出した。
「何時もながら、結構な御出来ですな。私は王摩詰わうまきつを思ひ出します。食随鳴磬巣烏下しよくはめいけいにしたがひさううくだり行踏空林落葉声ゆいてくうりんをふめばらくえふこゑありと云ふ所でせう。」

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