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首が落ちた話(くびがおちたはなし)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-15 16:10:25  点击:  切换到繁體中文



        下

 日清にっしん両国の間の和がこうぜられてから、一年ばかりたった、ある早春の午前である。北京ペキンにある日本公使館内の一室では、公使館附武官の木村陸軍少佐と、折から官命で内地から視察に来た農商務省技師の山川理学士とが、一つテエブルを囲みながら、一碗の珈琲コオヒイと一本の葉巻とに忙しさを忘れて、のどかな雑談にふけっていた。早春とは云いながら、大きなカミンに火がいてあるので、しつの中はどうかすると汗がにじむほど暖い。そこへテエブルの上へのせた鉢植えの紅梅が時々支那しなめいた匂を送って来る。
 二人の間の話題は、しばらく西太后せいたいこうで持ち切っていたが、やがてそれが一転して日清にっしん戦争当時の追憶になると、木村少佐は何を思ったか急に立ち上って、室の隅に置いてあった神州日報のじこみを、こっちのテエブルへ持って来た。そうして、その中の一枚を山川技師の眼の前へひろげると、指である箇所をさしながら、読み給えと云う眼つきをした。それがあまり唐突とうとつだったので、技師はちょいと驚いたが、相手の少佐が軍人に似合わない、洒脱しゃだつな人間だと云う事は日頃からよく心得ている。そこで咄嗟とっさに、戦争に関係した奇抜な逸話を予想しながら、その紙面へ眼をやると、果してそこには、日本の新聞口調に直すとこんな記事が、四角な字ばかりで物々しくかかげてあった。
 ――がい剃頭店ていとうてん主人、何小二かしょうじなる者は、日清戦争に出征して、屡々しばしば勲功をあらわしたる勇士なれど、凱旋がいせん後とかく素行おさまらず、酒と女とに身を持崩もちくずしていたが、去る――にち、某酒楼にて飲み仲間の誰彼と口論し、遂につかみ合いの喧嘩となりたる末、頸部に重傷を負い即刻絶命したり。ことに不思議なるは同人の頸部なるきずにして、こはその際兇器きょうきにてきずつけられたるものにあらず、全く日清戦争中戦場にて負いたる創口が、ふたたび、破れたるものにして、実見者の談によれば、格闘中同人が卓子テエブルと共に顛倒するや否や、首は俄然のどの皮一枚を残して、鮮血と共に床上しょうじょうまろび落ちたりと云う。ただし、当局はその真相を疑い、目下犯人厳探中の由なれども、諸城しょじょう某甲ぼうこうが首の落ちたる事は、載せて聊斎志異りょうさいしいにもあれば、がい何小二の如きも、その事なしとは云うべからざるか。云々。
 山川技師は読みおわると共に、あきれた顔をして、「何だい、これは」と云った。すると木村少佐は、ゆっくり葉巻の煙を吐きながら、鷹揚おうように微笑して、
「面白いだろう。こんな事は支那でなくっては、ありはしない。」
「そうどこにでもあって、たまるものか。」
 山川技師もにやにやしながら、長くなった葉巻の灰を灰皿の中へはたき落した。
「しかも更に面白い事は――」
 少佐は妙に真面目まじめな顔をして、ちょいとことばを切った。
「僕はその何小二と云うやつを知っているのだ。」
「知っている? これは驚いた。まさかアッタッシェの癖に、新聞記者と一しょになって、いい加減な嘘を捏造ねつぞうするのではあるまいね。」
「誰がそんなくだらない事をするものか。僕はあの頃――とんたたかいで負傷した時に、その何小二と云うやつも、やはり我軍の野戦病院へ収容されていたので、支那語の稽古けいこかたがた二三度話しをした事があるのだ。くびきずがあると云うのだから、十中八九あの男に違いない。何でも偵察か何かに出た所が我軍の騎兵と衝突して頸へ一つ日本刀をお見舞申されたと云っていた。」
「へえ、妙な縁だね。だがそいつはこの新聞で見ると、無頼漢だと書いてあるではないか。そんなやつは一層いっそその時に死んでしまった方が、どのくらい世間でも助かったか知れないだろう。」
「それがあの頃は、ごく正直な、人のい人間で、捕虜の中にも、あんな柔順なやつは珍らしいくらいだったのだ。だから軍医官でも何でも、妙にあいつが可愛いかったと見えて、特別によく療治をしてやったらしい。あいつはまた身の上話をしても、なかなか面白い事を云っていた。殊にあいつが頸に重傷を負って、馬から落ちた時の心もちを僕に話して聞かせたのは、今でもちゃんと覚えている。ある川のふちの泥の中にころがりながら、川楊かわやなぎの木の空を見ていると、母親の裙子くんしだの、女の素足すあしだの、花の咲いた胡麻ごま畑だのが、はっきりその空へ見えたと云うのだが。」
 木村少佐は葉巻を捨てて、珈琲コオヒイ茶碗を唇へあてながら、テエブルの上の紅梅へ眼をやって、独りごとのようにことばを次いだ。
「あいつはそれを見た時に、しみじみ今までの自分の生活が浅ましくなって来たと云っていたっけ。」
「それが戦争がすむと、すぐに無頼漢になったのか。だから人間はあてにならない。」
 山川技師は椅子の背へ頭をつけながら、足をのばして、皮肉に葉巻の煙を天井へ吐いた。
「あてにならないと云うのは、あいつが猫をかぶっていたと云う意味か。」
「そうさ。」
「いや、僕はそう思わない。少くともあの時は、あいつも真面目にそう感じていたのだろうと思う。恐らくは今度もまた、首が落ちると同時に(新聞のことばをそのまま使えば)やはりそう感じたろう。僕はそれをこんな風に想像する。あいつは喧嘩をしているうちに、酔っていたから、訳なく卓子テエブルと一しょにほうり出された。そうしてその拍子に、創口がいて、長い辮髪べんぱつをぶらさげた首が、ごろりと床の上へころげ落ちた。あいつが前に見た母親の裙子くんしとか、女の素足とか、あるいはまた花のさいている胡麻畑とか云うものは、やはりそれと同時にあいつの眼の前を、彷彿として往来した事だろう。あるいは屋根があるにもかかわらず、あいつは深い蒼空あおぞらを、遥か向うに望んだかも知れない。あいつはその時、しみじみまた今までの自分の生活が浅ましくなった。が、今度はもう間に合わない。前には正気を失っている所を、日本の看護卒が見つけて介抱してやった。今は喧嘩の相手が、そこをつけこんでったり蹴ったりする。そこであいつは後悔した上にも後悔しながら息をひきとってしまったのだ。」
 山川技師は肩をゆすって笑った。
「君は立派な空想家だ。だが、それならどうしてあいつは、一度そう云う目にいながら、無頼漢なんぞになったのだろう。」
「それは君の云うのとちがった意味で、人間はあてにならないからだ。」
 木村少佐は新しい葉巻に火をつけてから、ほとんど、得意に近いほど晴々はればれした調子で、微笑しながらこう云った。
「我々は我々自身のあてにならない事を、痛切に知って置く必要がある。実際それを知っているもののみが、幾分でもあてになるのだ。そうしないと、何小二かしょうじの首が落ちたように、我々の人格も、いつどんな時首が落ちるかわからない。――すべて支那の新聞と云うものは、こんな風に読まなくてはいけないのだ。」

(大正六年十二月)




 



底本:「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年10月28日第1刷発行
   1996(平成8)年7月15日第11刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月23日公開
2004年3月8日修正
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