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金将軍(きんしょうぐん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-15 16:08:53  点击:  切换到繁體中文

底本: 芥川龍之介全集5
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1987(昭和62)年2月24日
入力に使用: 1995(平成7)年4月10日第6刷
校正に使用: 1996(平成8)年7月15日第7刷


底本の親本: 筑摩全集類聚版芥川龍之介全集
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月

 

ある夏の日、笠をかぶった僧が二人ふたり朝鮮ちょうせん平安南道へいあんなんどう竜岡郡りゅうこうぐん桐隅里とうぐうり田舎道いなかみちを歩いていた。この二人はただの雲水うんすいではない。実ははるばる日本から朝鮮の国をさぐりに来た加藤肥後守清正かとうひごのかみきよまさ小西摂津守行長こにしせっつのかみゆきながとである。
 二人はあたりを眺めながら、青田あおたあいだを歩いて行った。するとたちまち道ばたに農夫の子らしい童児が一人、まるい石を枕にしたまま、すやすや寝ているのを発見した。加藤清正は笠の下から、じっとその童児へ目を落した。
「この小倅こせがれ異相いそうをしている。」
 鬼上官おにじょうかん二言にごんと云わずに枕の石をはずした。が、不思議にもその童児は頭を土へ落すどころか、石のあった空間を枕にしたなり、不相変あいかわらず静かに寝入っている!
「いよいよこの小倅こせがれは唯者ではない。」
 清正は香染こうぞめの法衣ころもに隠した戒刀かいとう※(「木+霸」、第3水準1-86-28)つかへ手をかけた。倭国わこくわざわいになるものは芽生めばえのうちに除こうと思ったのである。しかし行長は嘲笑あざわらいながら、清正の手を押しとどめた。
「この小倅に何が出来るもんか? 無益むやく殺生せっしょうをするものではない。」
 二人の僧はもう一度青田のあいだを歩き出した。が、虎髯とらひげの生えた鬼上官だけはまだ何か不安そうに時々その童児をふり返っていた。……
 三十年ののち、その時の二人の僧、――加藤清正と小西行長とは八兆八億の兵と共に朝鮮八道へ襲来しゅうらいした。家を焼かれた八道の民は親は子を失い、夫は妻を奪われ、右往左往うおうさおうに逃げまどった。京城けいじょうはすでに陥った。平壌へいじょうも今は王土ではない。宣祖王せんそおうはやっと義州ぎしゅうへ走り、大明だいみんの援軍を待ちわびている。もしこのまま手をつかねて倭軍わぐん蹂躙じゅうりんに任せていたとすれば、美しい八道の山川さんせんも見る見る一望の焼野の原と変化するほかはなかったであろう。けれども天は幸にもまだ朝鮮を見捨てなかった。と云うのは昔青田のくろ奇蹟きせきを現した一人の童児、――金応瑞きんおうずいに国を救わせたからである。
 金応瑞は義州ぎしゅう統軍亭とうぐんていけつけ、憔悴しょうすいした宣祖王せんそおう竜顔りゅうがんを拝した。
「わたくしのこうして居りますからは、どうかお心をお休めなさりとうございまする。」
 宣祖王は悲しそうに微笑した。
倭将わしょう鬼神きじんよりも強いと云うことじゃ。もしそちに打てるものなら、まず倭将の首をってくれい。」
 倭将の一人――小西行長はずっと平壌へいじょう大同館だいどうかん妓生ぎせい桂月香けいげつこう寵愛ちょうあいしていた。桂月香は八千の妓生のうちにも並ぶもののない麗人である。が、国を憂うる心は髪にした※(「王へん+攵」、第3水準1-87-88)まいかいの花と共に、一日も忘れたと云うことはない。その明眸めいぼうは笑っている時さえ、いつも長い睫毛まつげのかげにもの悲しい光りをやどしている。
 ある冬の、行長は桂月香にしゃくをさせながら、彼女の兄と酒盛りをしていた。彼女の兄もまた色の白い、風采ふうさい立派りっぱな男である。桂月香はふだんよりも一層こびを含みながら、絶えず行長に酒を勧めた。そのまた酒の中にはいつのにか、ちゃんと眠り薬が仕こんであった。
 しばらくののち、桂月香と彼女の兄とはい伏した行長をあとにしたまま、そっとどこかへ姿を隠した。行長は翠金すいきんちょうの外に秘蔵の宝剣ほうけんをかけたなり、前後も知らずに眠っていた。もっともこれは必ずしも行長の油断したせいばかりではない。この帳はまた鈴陣れいじんである。誰でも帳中に入ろうとすれば、帳をめぐった宝鈴ほうれいはたちまちけたたましい響と共に、行長の眠を破ってしまう。ただ行長は桂月香のこの宝鈴も鳴らないように、いつのまにかすずの穴へ綿をつめたのを知らなかったのである。
 桂月香と彼女の兄とはもう一度そこへ帰って来た。彼女は今夜はぬいのあるもすそかまどの灰を包んでいた。彼女の兄も、――いや彼女の兄ではない。王命おうめいを奉じた金応瑞は高々たかだかそでをからげた手に、青竜刀せいりゅうとうを一ふりげていた。彼等は静かに行長のいる翠金の帳へ近づこうとした。すると行長の宝剣はおのずからさやを離れるが早いか、ちょうどつばさの生えたように金将軍きんしょうぐんの方へ飛びかかって来た。しかし金将軍は少しもさわがず、咄嵯とっさにその宝剣を目がけて一口のつばを吐きかけた。宝剣は唾にまみれると同時に、たちまち神通力じんつうりきを失ったのか、ばたりとゆかの上へ落ちてしまった。
 金応瑞きんおうずいは大いにたけりながら、青竜刀の一払いに行長の首を打ち落した。が、この恐しい倭将わしょうの首は口惜くやしそうにきばみ噛み、もとの体へ舞い戻ろうとした。この不思議を見た桂月香けいげつこうもすその中へ手をやるや否や、行長の首のり口へ幾掴いくつかみも灰を投げつけた。首は何度飛び上っても、灰だらけになった斬り口へはとうとう一度もわらなかった。
 けれども首のない行長の体は手さぐりに宝剣を拾ったと思うと、金将軍へそれを投げ打ちにした。不意ふいを打たれた金将軍は桂月香を小腋こわきに抱えたまま、高いはりの上へ躍り上った。が、行長の投げつけた剣は宙に飛んだ金将軍の足の小指を斬り落した。
 そのも明けないうちである。王命を果した金将軍は桂月香を背負いながら、人気ひとけのない野原を走っていた。野原のはてには残月が一痕いっこん、ちょうど暗い丘のかげに沈もうとしているところだった。金将軍はふと桂月香の妊娠にんしんしていることを思い出した。倭将の子は毒蛇どくじゃも同じことである。今のうちに殺さなければ、どう云う大害をかもすかも知れない。こう考えた金将軍は三十年前の清正きよまさのように、桂月香親子を殺すよりほかに仕かたはないと覚悟した。
 英雄は古来センティメンタリズムを脚下きゃっか蹂躙じゅうりんする怪物である。金将軍はたちまち桂月香を殺し、腹の中の子供を引ずり出した。残月の光りに照らされた子供はまだ模糊もことした血塊けっかいだった。が、その血塊は身震みぶるいをすると、突然人間のように大声を挙げた。
「おのれ、もう三月みつき待てば、父のかたきをとってやるものを!」
 声は水牛のえるように薄暗い野原中に響き渡った。同時にまた一痕の残月も見る見る丘のかげに沈んでしまった。………
 これは朝鮮に伝えられる小西行長こにしゆきながの最期である。行長は勿論征韓のえきの陣中には命を落さなかった。しかし歴史を粉飾ふんしょくするのは必ずしも朝鮮ばかりではない。日本もまた小児しょうにに教える歴史は、――あるいはまた小児と大差のない日本男児に教える歴史はこう云う伝説に充ち満ちている。たとえば日本の歴史教科書は一度もこう云う敗戦の記事を掲げたことはないではないか?
大唐もろこしの軍将、戦艦いくさぶね一百七十艘をひきいて白村江はくそんこう朝鮮ちょうせん忠清道ちゅうせいどう舒川県じょせんけん)に陣列つらなれり。戊申つちのえさる天智天皇てんちてんのうの二年秋八月二十七日)日本やまと船師ふないくさ、始めて至り、大唐の船師と合戦たたかう。日本やまと利あらずして退く。己酉つちのととり(二十八日)……さらに日本やまと乱伍らんご中軍ちゅうぐんの卒を率いて進みて大唐の軍をつ。大唐、便すなわち左右より船をはさみてめぐり戦う。須臾とき官軍みいくさ敗績やぶれぬ。水におもむきて溺死しぬる者おおし。艫舳へとも廻旋めぐらすることを得ず。」(日本書紀にほんしょき
 いかなる国の歴史もその国民には必ず栄光ある歴史である。何も金将軍の伝説ばかり一粲いっさんに価する次第ではない。

(大正十三年一月)




 



底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
   1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月8日公開
2004年3月8日修正
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