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煙管(きせる)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-15 15:54:31  点击:  切换到繁體中文



        六

 斉広なりひろは、爾来じらい登城する毎に、銀の煙管きせるを持って行った。やはり、剣梅鉢けんうめばちの紋ぢらしの、精巧を極めた煙管である。
 彼が新調の煙管を、以前ほど、得意にしていない事は勿論である。第一人と話しをしている時でさえ滅多に手にとらない。手にとってもすぐにまたしまってしまう。同じ長崎煙草が、金無垢の煙管でのんだ時ほど、うまくないからである。が、煙管の地金じがねの変った事は独り斉広の上に影響したばかりではない。三人の忠臣が予想した通り、坊主共ぼうずどもの上にも、影響した。しかし、この影響は結果において彼等の予想を、全然裏切ってしまう事に、なったのである。何故と云えば坊主共は、金が銀に変ったのを見ると、今まで金無垢なるが故に、遠慮をしていた連中さえ、先を争って御煙管拝領に出かけて来た。しかも、金無垢の煙管にさえ、愛着あいじゃくのなかった斉広が、銀の煙管をくれてやるのに、未練みれんのあるべき筈はない。彼は、請われるままに、惜し気もなく煙管を投げてやった。しまいには、登城した時に、煙管をやるのか、煙管をやるために登城するのか、彼自身にも判別が出来なくなった――少くともなったくらいである。
 これを聞いた、山崎、岩田、上木の三人は、また、愁眉しゅうびをあつめて評議した。こうなっては、いよいよ上木の献策通り、真鍮の煙管を造らせるよりほかに、仕方がない。そこで、また、例の如く、命が住吉屋七兵衛へくだろうとした――丁度、その時である。一人の近習きんじゅが斉広の旨を伝えに、彼等の所へやって来た。
御前ごぜんは銀の煙管を持つと坊主共の所望がうるさい。以来従前通り、金の煙管に致せと仰せられまする。」
 三人は、唖然あぜんとして、為す所を知らなかった。

        七

 河内山宗俊こうちやまそうしゅんは、ほかの坊主共が先を争って、斉広なりひろの銀の煙管きせるを貰いにゆくのを、傍痛かたわらいたく眺めていた。ことに、了哲りょうてつが、八朔はっさくの登城の節か何かに、一本貰って、嬉しがっていた時なぞは、持前の癇高かんだかい声で、頭から「莫迦ばかめ」をあびせかけたほどである。彼は決して銀の煙管が欲しくない訳ではない。が、ほかの坊主共と一しょになって、同じ煙管の跡を、追いかけて歩くには、余りに、「金箔きんぱく」がつきすぎている。その高慢と欲とのせめぎあうのに苦しめられた彼は、今に見ろ、おれが鼻を明かしてやるから――と云う気で、何気ないていを装いながら、油断なく、斉広の煙管へ眼をつけていた。
 すると、ある日、彼は、斉広が、以前のような金無垢の煙管で悠々と煙草をくゆらしているのに、気がついた。が、坊主仲間では誰も貰いに行くものがないらしい。そこで彼は折から通りかかった了哲をよびとめて、そっとあごで斉広の方を教えながらささやいた。
「また金無垢になったじゃねえか。」
 了哲はそれを聞くと、あきれたような顔をして、宗俊を見た。
「いい加減に欲ばるがいい。銀の煙管でさえ、あの通りねだられるのに、何で金無垢の煙管なんぞ持って来るものか。」
「じゃあれは何だ。」
「真鍮だろうさ。」
 宗俊は肩をゆすった。四方あたりはばかって笑い声を立てなかったのである。
「よし、真鍮なら、真鍮にして置け。おれが拝領と出てやるから。」
「どうして、また、金だと云うのだい。」了哲の自信は、怪しくなったらしい。
「手前たちの思惑おもわく先様さきさま御承知でよ。真鍮と見せて、実は金無垢を持って来たんだ。第一、百万石の殿様が、真鍮の煙管を黙って持っている筈がねえ。」
 宗俊は、口早にこう云って、独り、斉広の方へやって行った。あっけにとられた了哲を、例の西王母せいおうぼの金襖の前に残しながら。
 それから、半時はんときばかりのちである。了哲は、また畳廊下たたみろうかで、河内山に出っくわした。
「どうしたい、宗俊、一件は。」
「一件た何だ。」
 了哲は、下唇をつき出しながら、じろじろ宗俊の顔を見て、
「とぼけなさんな。煙管の事さ。」
「うん、煙管か。煙管なら、手前にくれてやらあ。」
 河内山は懐から、黄いろく光る煙管を出したかと思うと、了哲の顔へほうりつけて、足早に行ってしまった。
 了哲は、ぶつけられた所をさすりながら、こぼしこぼし、下に落ちた煙管を手にとった。見ると剣梅鉢けんうめばちの紋ぢらしの数寄すきらした、――真鍮の煙管である。彼は忌々いまいましそうに、それを、また、畳の上へ抛り出すと、白足袋しろたびの足を上げて、この上を大仰おおぎょうに踏みつける真似をした。……

        八

 それ以来、坊主が斉広なりひろ煙管きせるをねだる事は、ぱったり跡を絶ってしまった。何故と云えば、斉広の持っている煙管は真鍮だと云う事が、宗俊と了哲とによって、一同に証明されたからである。
 そこで、一時、真鍮の煙管を金といつわって、斉広をあざむいた三人の忠臣は、評議の末再び、住吉屋七兵衛に命じて、金無垢の煙管を調製させた。前に河内山にとられたのと寸分もちがわない、剣梅鉢の紋ぢらしの煙管である。――斉広はこの煙管を持って内心、坊主共にねだられる事を予期しながら、揚々として登城した。
 すると、誰一人、拝領を願いに出るものがない。前に同じ金無垢の煙管を二本までねだった河内山さえ、じろりと一瞥を与えたなり、小腰をかがめて行ってしまった。同席の大名は、勿論拝見したいとも何とも云わずに、黙っている。斉広には、それが不思議であった。
 いや、不思議だったばかりではない。しまいには、それが何となく不安になった。そこで彼はまた河内山の来かかったのを見た時に、今度はこっちから声をかけた。
「宗俊、煙管をとらそうか。」
「いえ、難有ありがとうございますが、手前はもう、以前に頂いて居りまする。」
 宗俊は、斉広が飜弄ほんろうするとでも思ったのであろう。丁寧な語のうちに、鋭い口気こうきを籠めてこう云った。
 斉広はこれを聞くと、不快そうに、顔をくもらせた。長崎煙草の味も今では、口にあわない。急に今まで感じていた、百万石の勢力が、この金無垢の煙管の先から出る煙の如く、多愛たわいなく消えてゆくような気がしたからである。……
 古老ころうの伝える所によると、前田家では斉広以後、斉泰なりやすも、慶寧よしやすも、煙管は皆真鍮のものを用いたそうである、事によると、これは、金無垢の煙管にりた斉広が、子孫に遺誡いかいでも垂れた結果かも知れない。

(大正五年十月)




 



底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
   1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:earthian
1998年11月11日公開
2004年3月8日修正
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