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煙管(きせる)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-15 15:54:31  点击:  切换到繁體中文



        三

 それから間もなくの事である。
 斉広なりひろがいつものように、殿中でんちゅうの一間で煙草をくゆらせていると、西王母せいおうぼを描いた金襖きんぶすまが、静にいて、黒手くろで黄八丈きはちじょうに、黒の紋附もんつきの羽織を着た坊主が一人、うやうやしく、彼の前へ這って出た。顔を上げずにいるので、誰だかまだわからない。――斉広は、何か用が出来たのかと思ったので、煙管きせるをはたきながら、寛濶かんかつに声をかけた。
「何用じゃ。」
「ええ、宗俊そうしゅん御願がございまする。」
 河内山こうちやまはこう云って、ちょいと言葉を切った。それから、次の語を云っている中に、だんだんかしらを上げて、しまいには、じっと斉広の顔を見つめ出した。こう云う種類の人間のみが持って居る、一種の愛嬌あいきょうをたたえながら、蛇が物を狙うような眼で見つめたのである。
「別儀でもございませんが、その御手許にございまする御煙管を、手前、拝領致しとうございまする。」
 斉広は思わず手にしていた煙管を見た。その視線が、煙管へ落ちたのと、河内山が追いかけるように、語を次いだのとが、ほとんど同時である。
如何いかがでございましょう。拝領仰せつけられましょうか。」
 宗俊の語のうちにあるものは懇請の情ばかりではない、お坊主ぼうずと云う階級があらゆる大名に対して持っている、威嚇いかくの意もこもっている。煩雑な典故てんことうとんだ、殿中では、天下の侯伯も、お坊主の指導に従わなければならない。斉広には一方にそう云う弱みがあった。それからまた一方には体面上卑吝ひりんの名を取りたくないと云う心もちがある。しかも、彼にとって金無垢の煙管そのものは、決して得難い品ではない。――この二つの動機が一つになった時、彼の手はおのずから、その煙管を、河内山の前へさし出した。
「おお、とらす。持ってまいれ。」
「有難うございまする。」
 宗俊は、金無垢の煙管をうけとると、恭しく押頂おしいただいて、そこそこ、また西王母のふすまの向うへ、ひき下った。すると、ひき下る拍子に、うしろから袖を引いたものがある。ふりかえると、そこには、了哲りょうてつが、うすいものある顔をにやつかせながら、彼のてのひらの上にある金無垢の煙管をもの欲しそうに、指さしていた。
「こう、見や。」
 河内山は、小声でこう云って、煙管の雁首がんくびを、了哲の鼻の先へ、持って行った。
「とうとう、せしめたな。」
「だから、云わねえ事じゃねえ。今になって、うらやましがったって、あとの祭だ。」
「今度は、わしも拝領と出かけよう。」
「へん、御勝手ごかってになせえましだ。」
 河内山は、ちょいと煙管の目方をひいて見て、それから、襖ごしに斉広の方を一瞥いちべつしながら、また、肩をゆすってせせら笑った。

        四

 では、煙管きせるをまき上げられた斉広なりひろの方は、不快に感じたかと云うと、必しもそうではない。それは、彼が、下城げじょうをする際に、いつになく機嫌きげんのよさそうな顔をしているので、ともの侍たちが、不思議に思ったと云うのでも、知れるのである。
 彼は、むしろ、宗俊に煙管をやった事に、一種の満足を感じていた。あるいは、煙管を持っている時よりも、その満足の度は、大きかったかも知れない。しかしこれは至極当然な話である。何故と云えば、彼が煙管を得意にするのは、前にもことわったように、煙管そのものを、愛翫あいがんするからではない。実は、煙管の形をしている、百万石が自慢なのである。だから、彼のこの虚栄心は、金無垢の煙管を愛用する事によって、満足させられると同じように、その煙管を惜しげもなく、他人にくれてやる事によって、更によく満足させられる訳ではあるまいか。たまたまそれを河内山にやる際に、幾分外部の事情に、いられたような所があったにしても、彼の満足が、そのために、少しでも損ぜられる事なぞはないのである。
 そこで、斉広は、本郷ほんごうの屋敷へ帰ると、近習きんじゅの侍に向って、愉快そうにこう云った。
「煙管は宗俊の坊主にとらせたぞよ。」

        五

 これを聞いた家中かちゅうの者は、斉広なりひろ宏量こうりょうなのに驚いた。しかし御用部屋ごようべやの山崎勘左衛門かんざえもん御納戸掛おなんどがかりの岩田内蔵之助くらのすけ御勝手方おかってがた上木かみき九郎右衛門――この三人の役人だけは思わず、まゆをひそめたのである。
 加州一藩の経済にとっては、勿論、金無垢の煙管きせる一本の費用くらいは、何でもない。が、賀節がせつ朔望さくぼう二十八日の登城とじょうの度に、必ず、それを一本ずつ、坊主たちにとられるとなると、容易ならない支出である。あるいは、そのために運上うんじょうを増して煙管の入目いりめつぐなうような事が、起らないとも限らない。そうなっては、大変である――三人の忠義の侍は、皆云い合せたように、それを未然におそれた。
 そこで、彼等は、早速評議を開いて、善後策を講じる事になった。善後策と云っても、勿論一つしかない。――それは、煙管の地金じがねを全然変更して、坊主共の欲しがらないようなものにする事である。が、その地金を何にするかと云う問題になると、岩田と上木とで、互に意見を異にした。
 岩田は君公の体面上銀よりいやしい金属を用いるのは、なものであると云う。上木はまた、すでに坊主共の欲心を防ごうと云うのなら、真鍮しんちゅうを用いるのに越した事はない。今更体面を、顧慮する如きは、姑息こそくけんであると云う。――二人は、各々、自説を固守して、極力論駁ろんばくを試みた。
 すると、老功な山崎が、両説とも、至極道理がある。が、まず、一応、銀を用いて見て、それでも坊主共が欲しがるようだったら、その後に、真鍮を用いても、遅くはあるまい。と云う折衷説せっちゅうせつを持出した。これには二人とも、勿論、異議のあるべき筈がない。そこで評議は、とうとう、また、住吉屋すみよしや七兵衛に命じて銀の煙管を造らせる事に、一決した。

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