芥川龍之介全集1 |
ちくま文庫、筑摩書房 |
1986(昭和61)年9月24日 |
1995(平成7)年10月5日第13刷 |
筑摩全集類聚版芥川龍之介全集 |
筑摩書房 |
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 |
一
加州石川郡金沢城の城主、前田斉広は、参覲中、江戸城の本丸へ登城する毎に、必ず愛用の煙管を持って行った。当時有名な煙管商、住吉屋七兵衛の手に成った、金無垢地に、剣梅鉢の紋ぢらしと云う、数寄を凝らした煙管である。
前田家は、幕府の制度によると、五世、加賀守綱紀以来、大廊下詰で、席次は、世々尾紀水三家の次を占めている。勿論、裕福な事も、当時の大小名の中で、肩を比べる者は、ほとんど、一人もない。だから、その当主たる斉広が、金無垢の煙管を持つと云う事は、寧ろ身分相当の装飾品を持つのに過ぎないのである。
しかし斉広は、その煙管を持っている事を甚だ、得意に感じていた。もっとも断って置くが、彼の得意は決して、煙管そのものを、どんな意味ででも、愛翫したからではない。彼はそう云う煙管を日常口にし得る彼自身の勢力が、他の諸侯に比して、優越な所以を悦んだのである。つまり、彼は、加州百万石が金無垢の煙管になって、どこへでも、持って行けるのが、得意だった――と云っても差支えない。
そう云う次第だから、斉広は、登城している間中、殆どその煙管を離した事がない。人と話しをしている時は勿論、独りでいる時でも、彼はそれを懐中から出して、鷹揚に口に啣えながら、長崎煙草か何かの匂いの高い煙りを、必ず悠々とくゆらせている。
勿論この得意な心もちは、煙管なり、それによって代表される百万石なりを、人に見せびらかすほど、増長慢な性質のものではなかったかも知れない。が、彼自身が見せびらかさないまでも、殿中の注意は、明かに、その煙管に集注されている観があった。そうして、その集注されていると云う事を意識するのが斉広にとっては、かなり愉快な感じを与えた。――現に彼には、同席の大名に、あまりお煙管が見事だからちょいと拝見させて頂きたいと、云われた後では、のみなれた煙草の煙までがいつもより、一層快く、舌を刺戟するような気さえ、したのである。
二
斉広の持っている、金無垢の煙管に、眼を駭かした連中の中で、最もそれを話題にする事を好んだのは所謂、お坊主の階級である。彼等はよるとさわると、鼻をつき合せて、この「加賀の煙管」を材料に得意の饒舌を闘わせた。
「さすがは、大名道具だて。」
「同じ道具でも、ああ云う物は、つぶしが利きやす。」
「質に置いたら、何両貸す事かの。」
「貴公じゃあるまいし、誰が質になんぞ、置くものか。」
ざっと、こんな調子である。
するとある日、彼等の五六人が、円い頭をならべて、一服やりながら、例の如く煙管の噂をしていると、そこへ、偶然、御数寄屋坊主の河内山宗俊が、やって来た。――後年「天保六歌仙」の中の、主な rol をつとめる事になった男である。
「ふんまた煙管か。」
河内山は、一座の坊主を、尻眼にかけて、空嘯いた。
「彫と云い、地金と云い、見事な物さ。銀の煙管さえ持たぬこちとらには見るも眼の毒……」
調子にのって弁じていた了哲と云う坊主が、ふと気がついて見ると、宗俊は、いつの間にか彼の煙管入れをひきよせて、その中から煙草をつめては、悠然と煙を輪にふいている。
「おい、おい、それは貴公の煙草入れじゃないぜ。」
「いいって事よ。」
宗俊は、了哲の方を見むきもせずに、また煙草をつめた。そうして、それを吸ってしまうと、生あくびを一つしながら、煙草入れをそこへ抛り出して、
「ええ、悪い煙草だ。煙管ごのみが、聞いてあきれるぜ。」
了哲は慌てて、煙草入れをしまった。
「なに、金無垢の煙管なら、それでも、ちょいとのめようと云うものさ。」
「ふんまた煙管か。」と繰返して、「そんなに金無垢が有難けりゃ何故お煙管拝領と出かけねえんだ。」
「お煙管拝領?」
「そうよ。」
さすがに、了哲も相手の傍若無人なのにあきれたらしい。
「いくらお前、わしが欲ばりでも、……せめて、銀ででもあれば、格別さ。……とにかく、金無垢だぜ。あの煙管は。」
「知れた事よ。金無垢ならばこそ、貰うんだ。真鍮の駄六を拝領に出る奴がどこにある。」
「だが、そいつは少し恐れだて。」
了哲はきれいに剃った頭を一つたたいて恐縮したような身ぶりをした。
「手前が貰わざ、己が貰う。いいか、あとで羨しがるなよ。」
河内山はこう云って、煙管をはたきながら肩をゆすって、せせら笑った。
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