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開化の殺人(かいかのさつじん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-15 15:18:11  点击:  切换到繁體中文


 然れども若し是に止らんか、予は恐らく予が殺人の計画を実行するに、なほ幾多の逡巡なきを得ざりしならん。幸か、抑亦そもまた不幸か、運命はこの危険なる時期に際して、予を予が年少の友たる本多子爵と、一夜墨上ぼくじやうの旗亭柏屋かしはやに会せしめ、以て酒間その口より一場の哀話を語らしめたり。予はこの時に至つて、始めて本多子爵と明子とが、既に許嫁いひなづけの約ありしにも関らず、かの、満村恭平が黄金の威に圧せられて、遂に破約のむ無きに至りしを知りぬ。予が心、あにいきどほりを加へざらんや。かの酒燈一穂しゆとういつすゐ画楼簾裡ぐわろうれんり黯淡あんたんたるの処、本多子爵と予とがはいを含んで、満村を痛罵せし当時を思へば、予は今に至つておのづから肉動くの感なきを得ず。されど同時に又、当夜人力車に乗じて、柏屋より帰るの途、本多子爵と明子との旧契を思ひて、一種名状す可らざる悲哀を感ぜしも、予は猶あきらかに記憶する所なり。請ふ。再び予が日記を引用するを許せ。「予は今夕本多子爵と会してより、いよいよ旬日の間に満村恭平を殺害す可しと決心したり。子爵の口吻より察するに、彼と明子とは、独り許嫁の約ありしのみならず、又実に相愛の情を抱きたるものの如し。(予は今日にして、子爵の独身生活の理由を発見し得たるを覚ゆ)若し予にして満村を殺害せんか、子爵と明子とが伉儷かうれいまつたうせんは、必しも難事にあらず。たまたま明子の満村に嫁して、いまだ一児を挙げざるは、あたかも天意亦予が計画をたすくるに似たるの観あり。予はかの獣心の巨紳を殺害するの結果、予の親愛なる子爵と明子とが、早晩幸福なる生活に入らんとするを思ひ、おのづから口辺の微笑を禁ずる事能はず。」
 今や予が殺人の計画は、一転して殺人の実行に移らんとす。予は幾度か周密なる思慮に思慮を重ねたるの後、やうやくにして満村を殺害す可き適当なる場所と手段とを選定したり。その何処いづこにして何なりしかは、敢て詳細なる叙述を試みるの要なかる可し。卿等にして猶明治十二年六月十二日、独逸ドイツ皇孫殿下が新富座に於て日本劇を見給ひしの夜、彼、満村恭平が同戯場ぎぢやうよりその自邸に帰らんとするの途次、馬車中に於て突如病死したる事実を記憶せんか、予は新富座に於て満村の血色よろしからざる由を説き、これに所持の丸薬の服用を勧誘したる、一個壮年のドクトルありしを語れば足る。嗚呼、卿等請ふ、そのドクトルのおもてを想像せよ。彼は※(「壘」の「土」に代えて「糸」、第3水準1-90-24)るゐるゐたる紅球燈の光を浴びて、新富座の木戸口にたたずみつつ、霖雨の中に奔馳ほんちし去る満村の馬車を目送するや、昨日の憤怨、今日の歓喜、ひとしく胸中に蝟集ゐしふし来り、笑声嗚咽をえつ共に唇頭しんとうに溢れんとして、ほとんど処の何処いづこたる、時の何時なんどきたるを忘却したりき。しかもその彼が且泣き且笑ひつつ、蕭雨せううを犯し泥濘でいねいを踏んで、狂せる如く帰途に就きしの時、彼のつぶやいて止めざりしものは明子の名なりしをも忘るる事勿れ。――「予は終夜眠らずして、予が書斎を徘徊はいくわいしたり。歓喜か、悲哀か、予はそを明にする能はず。唯、或云ひ難き強烈なる感情は、予の全身を支配して、一霎時いつせふじたりといへども、予をして安坐せざらしむるを如何いかん。予が卓上には三鞭酒シヤンペンしゆあり。薔薇の花あり。而して又かの丸薬の箱あり。予はほとんど、天使と悪魔とを左右にして、奇怪なる饗宴を開きしが如くなりき……。」
 予は爾来じらい数ヶ月の如く、幸福なる日子につしけみせし事あらず。満村の死因は警察医によりて、予の予想と寸分の相違もなく、脳出血の病名を与へられ、即刻地下六尺の暗黒に、腐肉を虫蛆ちうその食としたるが如し。既に然り、誰か又予を目して、殺人犯の嫌疑ありとすものあらん。しかも仄聞そくぶんする所によれば、明子はその良人の死に依りて、始めて蘇色ありと云ふにあらずや。予は満面の喜色を以て予の患者を診察し、ひまあればすなはち本多子爵と共に、好んで劇を新富座に見たり。是全く予にとりては、予が最後の勝利を博せし、光栄ある戦場として、しばしばその花瓦斯はなガスとその掛毛氈かけまうせんとを眺めんとする、不思議なる欲望を感ぜしが為のみ。
 然れどもこは真に、数ヶ月の間なりき。この幸福なる数ヶ月の経過すると共に、予は漸次予が生涯中最も憎む可き誘惑と闘ふ可き運命に接近しぬ。そのたたかひの如何に酷烈を極めたるか、如何に歩々ほほ予を死地に駆逐したるか。予は到底ここに叙説するの勇気なし。否、この遺書をしたためつつある現在さへも、予は猶この水蛇ハイドラの如き誘惑と、死を以て闘はざる可らず。卿等にして若し、予が煩悶の跡を見んと欲せば、請ふ、以下に抄録せんとする予が日記を一瞥いちべつせよ。
「十月×日、明子、子なきの故を以て満村家を去る由、予は近日本多子爵と共に、六年ぶりにて彼女と会見す可し。帰朝以来、はじめ予は彼女を見るのおのれの為に忍びず、後は彼女を見るの彼女の為に忍びずして、遂に荏苒じんぜん今日に及べり。明子の明眸めいぼう、猶六年以前の如くなる可きや否や。
「十月×日、予は今日本多子爵を訪れ、始めて共に明子の家におもむかんとしぬ。然るにあにはからんや、子爵は予に先立ちて、既に彼女を見る事両三度なりと云はんには。子爵の予を疎外する、何ぞくの如く甚しきや。予は甚しく不快を感じたるを以て、辞を患者の診察に託し、※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)そうくわうとして子爵の家を辞したり。子爵は恐らく予の去りし後、単身明子を訪れしならんか。
「十一月×日、予は本多子爵と共に、明子をひぬ。明子は容色の幾分を減却したれども、猶紫藤花下しとうくわかに立ちし当年の少女を髣髴はうふつするは、いまだ必しも難事にあらず。嗚呼ああ予は既に明子を見たり。而して予が胸中、反つて止む可らざる悲哀を感ずるは何ぞ。予はその理由を知らざるに苦む。
「十二月×日、子爵は明子と結婚する意志あるものの如し。斯くして予が明子の夫を殺害したる目的は、始めて完成の域に達するを得ん。されど――されど、予は予がふたたび明子を失ひつつあるが如き、異様なる苦痛を免るる事能はず。
「三月×日、子爵と明子との結婚式は、今年年末を期して、挙行せらるべしと云ふ。予はその一日もすみやかならん事を祈る。現状に於ては、予は永久にこの止み難き苦痛を脱離する能はざる可し。
「六月十二日、予は独り新富座におもむけり。去年今月今日、予が手にたふれたる犠牲を思へば、予は観劇中もおのづから会心の微笑を禁ぜざりき。されど同座より帰途、予がふと予の殺人の動機に想到するや、予はほとんど帰趣きしゆを失ひたるかの感に打たれたり。嗚呼ああ、予は誰の為に満村恭平を殺せしか。本多子爵の為か、明子の為か、も亦予自身の為か。こは予も亦答ふる能はざるを如何いかん
「七月×日、予は子爵と明子と共に、今夕馬車を駆つて、隅田川の流燈会りうとうゑを見物せり。馬車の窓より洩るる燈光に、明子の明眸めいぼうの更に美しかりしは、ほとんど予をしてかたはらに子爵あるを忘れしめぬ。されどそは予が語らんとする所にあらず。予は馬車中子爵の胃痛を訴ふるや、手にポケツトをさぐりて、丸薬のはこを得たり。而してその「かの丸薬」なるに一驚したり。予は何が故に今宵この丸薬を携へたるか。偶然か、予は切にその偶然ならん事を庶幾こひねがふ。されどそは必しも偶然にはあらざりしものの如し。
「八月×日、予は子爵と明子と共に、予が家に晩餐を共にしたり。しかも予は終始、予がポケツトの底なるかの丸薬を忘るる事能はず。予の心は、殆予自身にとりても、不可解なる怪物を蔵するに似たり。
「十一月×日、子爵は遂に明子と結婚式を挙げたり。予は予自身に対して、名状し難き憤怒ふんぬを感ぜざるを得ず。その憤怒たるや、あたかも一度遁走とんそうせし兵士が、自己の怯懦けふだに対して感ずる羞恥しうちの情に似たるが如し。
「十二月×日、予は子爵のこひに応じて、之をその病床に見たり、明子亦傍にありて、夜来発熱甚しと云ふ。予は診察の後、その感冒に過ぎざるを云ひて、ただちに家に帰り、子爵の為に自ら調剤しぬ。その間約二時間、「かの丸薬」の函は終始予に恐る可き誘惑を持続したり。
「十二月×日、予は昨夜子爵を殺害せる悪夢におびやかされたり。終日胸中の不快を排し難し。
「二月×日、嗚呼予は今にして始めて知る、予が子爵を殺害せざらんが為には、予自身を殺害せざる可らざるを。されど明子は如何いかん。」
 子爵閣下、並に夫人、こは予が日記の大略なり。大略なりといへども、予が連日連夜の苦悶は、卿等必ずや善く了解せん。予は本多子爵を殺さざらんが為には、予自身を殺さざる可らず。されど予にして若し予自身を救はんが為に、本多子爵を殺さんか、予は予が満村恭平をほふりし理由を如何の地にか求む可けん。若し又彼を毒殺したる理由にして、予の自覚せざる利己主義に伏在したるものとさんか、予の人格、予の良心、予の道徳、予の主張は、すべて地を払つて消滅す可し。是もとより予の善く忍び得る所にあらず。予はむしろ、予自身を殺すの、遙に予が精神的破産にまされるを信ずるものなり。故に予は予が人格を樹立せんが為に、今宵「かの丸薬」の函によりて、かつて予が手にたふれたる犠牲と、同一運命を担はんとす。
 本多子爵閣下、並に夫人、予は如上じよじやうの理由の下に、卿等がこの遺書を手にするの時、既に死体となりて、予が寝台に横はらん。唯、死に際して、縷々るる予が呪ふ可き半生の秘密を告白したるは、亦以て卿等の為にいささかみづかいさぎよくせんと欲するが為のみ。卿等にして若し憎む可くんば、即ち憎み、憐む可くんば、即ち憐め。予は――自ら憎み、自ら憐める予は、悦んで卿等の憎悪と憐憫とを蒙る可し。さらば予は筆をいて、予が馬車を命じ、ただちに新富座に赴かん。而して半日の観劇を終りたるの後、予は「かの丸薬」の幾粒を口にふくみて、ふたたび予が馬車に投ぜん。節物せつぶつもとより異れども、紛々たる細雨は、予をして幸に黄梅雨くわうばいうの天を彷彿せしむ。斯くして予はかの肥大に似たる満村恭平の如く、車窓の外に往来する燈火の光を見、車蓋しやがいの上に蕭々せうせうたる夜雨の音を聞きつつ、新富座を去る事はなはだ遠からずして、かならず予が最期の息を呼吸す可し。卿等亦明日の新聞を飜すの時、恐らくは予が遺書を得るに先立つて、ドクトル北畠義一郎が脳出血病を以て、観劇の帰途、馬車内に頓死せしの一項を読まんか。終に臨んで予は切に卿等が幸福と健在とを祈る。卿等に常に忠実なるしもべ、北畠義一郎拝。

(大正七年六月)




 



底本:「現代日本文学大系43芥川龍之介集」筑摩書房
   1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:野口英司
1998年7月6日公開
2004年2月23日修正
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