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開化の良人(かいかのおっと)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-15 15:16:28  点击:  切换到繁體中文


「それ以来私はあきらかに三浦の幽鬱な容子ようすかくしている秘密の※(「均のつくり」、第3水準1-14-75)においを感じ出しました。勿論その秘密の※(「均のつくり」、第3水準1-14-75)が、すぐむべき姦通かんつうの二字を私の心にきつけたのは、御断おことわりするまでもありますまい。が、もしそうだとすれば、なぜまたあの理想家の三浦ともあるものが、離婚を断行しないのでしょう。姦通の疑惑は抱いていても、その証拠がないからでしょうか。それともあるいは証拠があっても、なお離婚を躊躇するほど、勝美夫人を愛しているからでしょうか。私はこんな臆測を代り代りたくましくしながら、彼と釣りに行く約束があった事さえ忘れ果てて、かれこれ半月ばかりの間というものは、手紙こそ時には書きましたが、あれほどしばしば訪問した彼の大川端の邸宅にも、足踏さえしなくなってしまいました。ところがその半月ばかりが過ぎてから、私はまた偶然にもある予想外な事件に出合ったので、とうとう前約を果しかたがた、彼と差向いになる機会を利用して、直接彼に私の心労を打ち明けようと思い立ったのです。
「と云うのはある日の事、私はやはり友人のドクトルと中村座なかむらざを見物した帰り途に、たしか珍竹林ちんちくりん主人とか号していたあけぼの新聞でも古顔の記者と一しょになって、日の暮から降り出した雨の中を、当時柳橋やなぎばしにあった生稲いくいね一盞いっさんを傾けに行ったのです。所がそこの二階座敷で、江戸の昔をしのばせるような遠三味線とおじゃみせんを聞きながら、しばらく浅酌せんしゃくの趣を楽んでいると、その中に開化の戯作者げさくしゃのような珍竹林ちんちくりん主人が、ふと興に乗って、折々軽妙な洒落しゃれを交えながら、あの楢山ならやま夫人の醜聞スカンダアルを面白く話して聞かせ始めました。何でも夫人の前身は神戸あたりの洋妾らしゃめんだと云う事、一時は三遊亭円暁さんゆうていえんぎょう男妾おとこめかけにしていたと云う事、その頃は夫人の全盛時代で金の指環ばかり六つもめていたと云う事、それが二三年まえから不義理な借金で、ほとんど首もまわらないと云う事――珍竹林主人はまだこのほかにも、いろいろ内幕うちまくの不品行をっぱぬいて聞かせましたが、中でも私の心の上に一番不愉快な影を落したのは、近来はどこかの若い御新造ごしんぞうが楢山夫人の腰巾着こしぎんちゃくになって、歩いていると云う風評でした。しかもこの若い御新造は、時々女権論者と一しょに、水神すいじんあたりへ男連れで泊りこむらしいと云うじゃありませんか。私はこれを聞いた時には、陽気なるべき献酬けんしゅうの間でさえ、もの思わしげな三浦の姿が執念しゅうねく眼の前へちらついて、義理にも賑やかな笑い声は立てられなくなってしまいました。が、幸いとドクトルは、早くも私のふさいでいるのに気がついたものと見えて、巧に相手をあやつりながら、いつか話題を楢山夫人とは全く縁のない方面へ持って行ってくれましたから、私はやっと息をついて、ともかく一座の興をがない程度に、応対を続ける事が出来たのです。しかしその晩は私にとって、どこまでも運悪く出来上っていたのでしょう。女権論者の噂に気を腐らした私が、やがて二人と一しょに席を立って、生稲いくいねの玄関から帰りの俥へ乗ろうとしていると、急に一台の相乗俥あいのりぐるまほろを雨に光らせながら、勢いよくそこへきこみました。しかも私がくるまの上へ靴の片足を踏みかけたのと、向うの俥が桐油とうゆを下して、中の一人が沓脱くつぬぎへ勢いよく飛んで下りたのとが、ほとんど同時だったのです。私はその姿を見るが早いか、素早く幌の下へ身を投じて、車夫が梶棒かじぼうを上げる刹那の間も、異様な興奮に動かされながら、『あいつだ。』とつぶやかずにはいられませんでした。あいつと云うのは別人でもない、三浦の細君の従弟と称する、あの色の浅黒い縞の背広だったのです。ですから私は雨の脚を俥の幌にはじきながら、燈火の多い広小路ひろこうじの往来を飛ぶように走って行く間も、あの相乗俥あいのりぐるまの中に乗っていた、もう一人の人物を想像して、何度となく恐しい不安の念におびやかされました。あれは一体楢山夫人でしたろうか。あるいはまた束髪に薔薇ばらの花をさした勝美夫人だったでしょうか。私は独りこのどちらともつかない疑惑に悩まされながら、むしろその疑惑の晴れる事を恐れて、倉皇そうこうと俥に身を隠した私自身の臆病な心もちが、腹立たしく思われてなりませんでした。このもう一人の人物が果して三浦の細君だったか、それとも女権論者だったかは、今になってもなお私には解く事の出来ない謎なのです。」
 本多子爵ほんだししゃくはどこからか、大きな絹の手巾ハンケチを出して、つつましく鼻をかみながら、もう暮色を帯び出した陳列室の中を見廻して、静にまた話を続け始めた。
「もっともこの問題はいずれにせよ、とにかく珍竹林ちんちくりん主人から聞いた話だけは、三浦の身にとって三考にも四考にも価する事ですから、私はその翌日すぐに手紙をやって、保養がてら約束のつりに出たいと思う日を知らせました。するとすぐに折り返して、三浦から返事が届きましたが、見るとその日は丁度十六夜じゅうろくやだから、釣よりも月見かたがた、日の暮から大川へ舟を出そうと云うのです。勿論私にしても格別釣に執着があった訳でもありませんから、早速彼の発議ほつぎに同意して、当日は兼ねての約束通り柳橋の舟宿ふなやどで落合ってから、まだ月の出ない中に、猪牙舟ちょきぶねで大川へ漕ぎ出しました。
「あの頃の大川おおかわの夕景色は、たとい昔の風流には及ばなかったかも知れませんが、それでもなお、どこか浮世絵じみた美しさが残っていたものです。現にその日も万八まんぱちの下を大川筋へ出て見ますと、大きく墨をなすったような両国橋の欄干らんかんが、仲秋のかすかな夕明りをゆらめかしている川波の空に、一反ひとそった一文字を黒々とひき渡して、その上を通る車馬の影が、早くも水靄すいあいにぼやけた中には、目まぐるしく行き交う提灯ちょうちんばかりが、もう鬼灯ほおづきほどの小ささに点々と赤く動いていました。三浦『どうだ、この景色は。』私『そうさな、こればかりはいくら見たいと云ったって、西洋じゃとても見られない景色かも知れない。』三浦『すると君は景色なら、少しくらい旧弊きゅうへいでも差支えないと云う訳か。』私『まあ、景色だけは負けて置こう。』三浦『所が僕はまた近頃になって、すっかり開化なるものがいやになってしまった。』私『何んでも旧幕の修好使しゅうこうしがヴルヴァルを歩いているのを見て、あの口の悪いメリメと云うやつは、側にいたデュマか誰かに「おい、誰が一体日本人をあんな途方とほうもなく長い刀にしばりつけたのだろう。」と云ったそうだぜ。君なんぞは気をつけないと、すぐにメリメの毒舌でこきおろされる仲間らしいな。』三浦『いや、それよりもこんな話がある。いつか使に来た何如璋かじょしょうと云う支那人は、横浜の宿屋へ泊って日本人の夜着を見た時に、「これいにしえ寝衣しんいなるもの、此邦このくに夏周かしゅう遺制いせいあるなり。」とか何とか、感心したと云うじゃないか。だから何も旧弊だからって、一概には莫迦ばかに出来ない。』その中に上げしお川面かわもが、急に闇を加えたのに驚いて、ふとあたりを見まわすと、いつの間にか我々を乗せた猪牙舟ちょきぶねは、一段との音を早めながら、今ではもう両国橋を後にして、夜目にも黒い首尾しゅびまつの前へ、さしかかろうとしているのです。そこで私は一刻も早く、勝美かつみ夫人の問題へ話題を進めようと思いましたから、早速三浦の言尻ことばじりをつかまえて、『そんなに君が旧弊好きなら、あの開化な細君はどうするのだ。』と、さぐりのおもりを投げこみました。すると三浦はしばらくの間、私の問が聞えないように、まだ月代つきしろもしない御竹倉おたけぐらの空をじっと眺めていましたが、やがてその眼を私の顔に据えると、低いながらも力のある声で、『どうもしない。一週間ばかり前に離縁をした。』と、きっぱりと答えたじゃありませんか。私はこの意外な答に狼狽ろうばいして、思わずふなばたをつかみながら、『じゃ君も知っていたのか。』と、きわどい声でたずねました。三浦は依然として静な調子で、『君こそ万事を知っていたのか。』と念を押すように問い返すのです。私『万事かどうかは知らないが、君の細君と楢山ならやま夫人との関係だけは聞いていた。』三浦『じゃ、僕の妻と妻の従弟との関係は?』私『それも薄々推察していた。』三浦『それじゃ僕はもう何も云う必要はない筈だ。』私『しかし――しかし君はいつからそんな関係に気がついたのだ?』三浦『妻と妻の従弟とのか? それは結婚して三月ほど経ってから――丁度あの妻の肖像画を、五姓田芳梅ごせたほうばい画伯に依頼していて貰う前の事だった。』この答が私にとって、さらにまた意外だったのは、大抵たいてい御想像がつくでしょう。私『どうして君はまた、今日こんにちまでそんな事を黙認していたのだ?』三浦『黙認していたのじゃない。僕は肯定こうていしてやっていたのだ。』私は三度みたび意外な答に驚かされて、しばらくはただ茫然と彼の顔を見つめていると、三浦は少しも迫らない容子ようすで、『それは勿論妻と妻の従弟との現在の関係を肯定した訳じゃない。当時の僕が想像に描いていた彼等の関係を肯定してやったのだ。君は僕が「アムウルのある結婚」を主張していたのを覚えているだろう。あれは僕が僕の利己心を満足させたいための主張じゃない。僕はアムウルをすべての上に置いた結果だったのだ。だから僕は結婚後、僕等の間の愛情が純粋なものでない事を覚った時、一方僕の軽挙を後悔すると同時に、そう云う僕と同棲どうせいしなければならない妻も気の毒に感じたのだ。僕は君も知っている通り、元来体も壮健じゃない。その上僕は妻を愛そうと思っていても、妻の方ではどうしても僕を愛す事が出来ないのだ、いやこれも事によると、そもそも僕のアムウルなるものが、相手にそれだけの熱を起させ得ないほど、貧弱なものだったかも知れない。だからもし妻と妻の従弟いとことの間に、僕と妻との間よりもっと純粋な愛情があったら、僕はいさぎよ幼馴染おさななじみの彼等のために犠牲ぎせいになってやる考だった。そうしなければアムウルをすべての上に置く僕の主張が、事実においてすたってしまう。実際あの妻の肖像画も万一そうなった暁に、妻の身代りとして僕の書斎に残して置く心算つもりだったのだ。』三浦はこう云いながら、また眼を向う河岸がしの空へ送りました。が、空はまるで黒幕でも垂らしたように、しい松浦まつうらの屋敷の上へ陰々と蔽いかかったまま、月の出らしい雲のけはいはいまだに少しも見えませんでした。私は巻煙草に火をつけた後で、『それから?』と相手を促しました。三浦『所が僕はそれから間もなく、妻の従弟の愛情アムウルが不純な事を発見したのだ。露骨に云えばあの男と楢山夫人との間にも、情交のある事を発見したのだ。どうして発見したかと云うような事は、君も格別聞きたくはなかろうし、僕も今更話したいとは思わない。が、とにかくある極めて偶然な機会から、僕自身彼等の密会する所を見たと云う事だけ云って置こう。』私は巻煙草の灰をふなばたの外に落しながら、あの生稲いくいねの雨の夜の記憶を、まざまざと心に描き出しました。が、三浦はよどみなくことばいで、『これが僕にとっては、正に第一の打撃だった。僕は彼等の関係を肯定してやる根拠の一半を失ったのだから、勢い、前のような好意のある眼で、彼等の情事を見る事が出来なくなってしまったのだ。これは確か、君が朝鮮ちょうせんから帰って来た頃の事だったろう。あの頃の僕は、いかにして妻の従弟から妻を引き離そうかと云う問題に、毎日頭を悩ましていた。あの男のアムウル虚偽きょぎはあっても、妻のそれは純粋なのに違いない。――こう信じていた僕は、同時にまた妻自身の幸福のためにも、彼等の関係に交渉する必要があると信じていたのだ。が、彼等は――少くとも妻は、僕のこう云う素振そぶりに感づくと、僕が今まで彼等の関係を知らずにいて、その頃やっと気がついたものだから、嫉妬しっとに駆られ出したとでも解釈してしまったらしい。従って僕の妻は、それ以来僕に対して、敵意のある監視を加え始めた。いや、事によると時々は、君にさえ僕と同様の警戒を施していたかも知れない。』私『そう云えば、いつか君の細君は、書斎で我々が話しているのを立ち聴きをしていた事があった。』三浦『そうだろう、ずいぶんそのくらいな振舞ふるまいはし兼ねない女だった。』私たちはしばらく口をつぐんで、暗い川面かわもを眺めました。この時もう我々の猪牙舟ちょきぶねは、元の御厩橋おうまやばしの下をくぐりぬけて、かすかな舟脚ふなあしを夜の水に残しながら、彼是かれこれ駒形こまかたの並木近くへさしかかっていたのです。その中にまた三浦が、沈んだ声で云いますには、『が、僕はまだ妻の誠実を疑わなかった。だから僕の心もちが妻に通じない点で、――通じない所か、むしろ憎悪を買っている点で、それだけ余計に僕は煩悶はんもんした。君を新橋に出迎えて以来、とうとう今日きょうに至るまで、僕は始終この煩悶と闘わなければならなかったのだ。が、一週間ばかり前に、下女か何かの過失から、妻の手にはいる可き郵便が、僕の書斎へ来ているじゃないか。僕はすぐ妻の従弟の事を考えた。そうして――とうとうその手紙を開いて見た。すると、その手紙は思いもよらないほかの男から妻へ宛てた艶書えんしょだったのだ。言い換えれば、あの男に対する妻の愛情も、やはり純粋なものじゃなかったのだ。勿論この第二の打撃は、第一のそれよりもはるかに恐しい力を以て、あらゆる僕の理想を粉砕した。が、それと同時にまた、僕の責任が急に軽くなったような、悲しむべき安慰あんいの感情を味った事もまた事実だった。』三浦がこう語り終った時、丁度向う河岸がし並倉なみぐらの上には、もの凄いように赤い十六夜じゅうろくやの月が、始めて大きく上り始めました。私はさっきあの芳年よしとしの浮世絵を見て、洋服を着た菊五郎から三浦の事を思い出したのは、殊にその赤い月が、あの芝居の火入ひいりの月に似ていたからの事だったのです。あの色の白い、細面ほそおもての、長い髪をまん中から割った三浦は、こう云う月の出を眺めながら、急に長いいきくと、さびしい微笑を帯びた声で、『君は昔、神風連しんぷうれんが命をして争ったのも子供の夢だとけなした事がある。じゃ君の眼から見れば、僕の結婚生活なども――』私『そうだ。やはり子供の夢だったかも知れない。が、今日こんにち我々の目標にしている開化も、百年ののちになって見たら、やはり同じ子供の夢だろうじゃないか。……』」
 丁度本多子爵ほんだししゃくがここまで語り続けた時、我々はいつか側へ来た守衛しゅえいの口から、閉館の時刻がすでに迫っていると云う事を伝えられた。子爵とわたくしとはおもむろに立上って、もう一度周囲の浮世絵と銅版画とを見渡してから、そっとこのうす暗い陳列室の外へ出た。まるで我々自身も、あの硝子戸棚ガラスとだなから浮び出た過去の幽霊か何かのように。

(大正八年一月)




 



底本:「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年10月28日第1刷発行
   1996(平成8)年7月15日第11刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月23日公開
2004年3月8日修正
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