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開化の良人(かいかのおっと)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-15 15:16:28  点击:  切换到繁體中文

底本: 芥川龍之介全集2
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1986(昭和61)年10月28日
入力に使用: 1996年(平成8)7月15日第11刷
校正に使用: 1996年(平成8)7月15日第11刷


底本の親本: 筑摩全集類聚版芥川龍之介全集
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月

 

いつぞや上野うえのの博物館で、明治初期の文明に関する展覧会が開かれていた時の事である。ある曇った日の午後、わたくしはその展覧会の各室を一々叮嚀ていねいに見て歩いて、ようやく当時の版画はんがが陳列されている、最後の一室へはいった時、そこの硝子戸棚ガラスとだなの前へ立って、古ぼけた何枚かの銅版画を眺めている一人の紳士しんしが眼にはいった。紳士は背のすらっとした、どこか花車きゃしゃな所のある老人で、折目の正しい黒ずくめの洋服に、上品な山高帽やまたかぼうをかぶっていた。私はこの姿を一目見ると、すぐにそれが四五日前に、ある会合の席上で紹介された本多子爵ほんだししゃくだと云う事に気がついた。が、近づきになってもない私も、子爵の交際嫌いな性質は、以前からよく承知していたから、咄嗟とっさあいだ、側へ行って挨拶あいさつしたものかどうかを決しかねた。すると本多子爵は、私の足音が耳にはいったものと見えて、おもむろにこちらを振返ったが、やがてその半白なひげおおわれた唇に、ちらりと微笑の影が動くと、心もち山高帽を持ち上げながら、「やあ」とやさしい声で会釈えしゃくをした。私はかすかな心のくつろぎを感じて、無言のまま、叮嚀ていねいにその会釈を返しながら、そっと子爵の側へ歩を移した。
 本多子爵は壮年時代の美貌びぼうが、まだ暮方くれがたの光の如く肉の落ちた顔のどこかに、ただよっている種類の人であった。が、同時にまたその顔には、貴族階級には珍らしい、心の底にある苦労の反映が、もの思わしげな陰影を落していた。私は先達せんだっても今日の通り、唯一色の黒の中にものうい光を放っている、大きな真珠しんじゅのネクタイピンを、子爵その人の心のように眺めたと云う記憶があった。……
「どうです、この銅版画は。築地つきじ居留地の図――ですか。図どりが中々巧妙じゃありませんか。その上明暗も相当に面白く出来ているようです。」
 子爵は小声でこう云いながら、細い杖の銀の握りで、硝子戸棚の中の絵をさし示した。わたくしうなずいた。雲母きららのような波を刻んでいる東京湾、いろいろな旗をひるがえした蒸汽船、往来を歩いて行く西洋の男女の姿、それから洋館の空に枝をのばしている、広重ひろしげめいた松の立木――そこには取材と手法とに共通した、一種の和洋折衷せっちゅうが、明治初期の芸術に特有な、美しい調和を示していた。この調和はそれ以来、永久に我々の芸術から失われた。いや、我々が生活する東京からも失われた。私が再びうなずきながら、この築地つきじ居留地の図は、独り銅版画として興味があるばかりでなく、牡丹ぼたん唐獅子からじしの絵を描いた相乗あいのり人力車じんりきしゃや、硝子取ガラスどりの芸者の写真が開化かいかを誇り合った時代を思い出させるので、一層なつかしみがあると云った。子爵はやはり微笑を浮べながら、私のことばを聞いていたが、静にその硝子戸棚の前を去って、隣のそれに並べてある大蘇芳年たいそよしとしの浮世絵の方へ、ゆっくりした歩調で歩みよると、
「じゃこの芳年よしとしをごらんなさい。洋服を着た菊五郎と銀杏返いちょうがえしの半四郎とが、火入ひいりの月の下で愁嘆場しゅうたんばを出している所です。これを見ると一層あの時代が、――あの江戸とも東京ともつかない、夜と昼とを一つにしたような時代が、ありありと眼の前に浮んで来るようじゃありませんか。」
 私は本多ほんだ子爵が、今でこそ交際嫌いで通っているが、その頃は洋行帰りの才子さいしとして、官界のみならず民間にも、しばしば声名をうたわれたと云う噂のはしも聞いていた。だから今、この人気ひとけの少い陳列室で、硝子戸棚の中にある当時の版画に囲まれながら、こう云う子爵のことばを耳にするのは、元より当然すぎるほど、ふさわしく思われる事であった。が、一方ではまたその当然すぎる事が、多少の反撥はんぱつを心に与えたので、私は子爵のことばが終ると共に、話題を当時から引離して、一般的な浮世絵の発達へ運ぼうと思っていた。しかし本多子爵は更に杖の銀の握りで、芳年の浮世絵をひとひとつさし示しながら、相不変あいかわらず低い声で、
「殊にわたしなどはこう云う版画を眺めていると、三四十年まえのあの時代が、まだ昨日きのうのような心もちがして、今でも新聞をひろげて見たら、鹿鳴館ろくめいかんの舞踏会の記事が出ていそうな気がするのです。実を云うとさっきこの陳列室へはいった時から、もう私はあの時代の人間がみんなまた生き返って、我々の眼にこそ見えないが、そこにもここにも歩いている。――そうしてその幽霊ゆうれいが時々我々の耳へ口をつけて、そっと昔の話を囁いてくれる。――そんな怪しげな考えがどうしても念頭を離れないのです。殊に今の洋服を着た菊五郎などは、余りよく私の友だちに似ているので、あの似顔絵にがおえの前に立った時は、ほとんど久闊きゅうかつじょしたいくらい、半ば気味の悪い懐しささえ感じました。どうです。御嫌おいやでなかったら、その友だちの話でも聞いて頂くとしましょうか。」
 本多子爵はわざと眼をらせながら、私の気をかねるように、落着かない調子でこう云った。私は先達せんだって子爵と会った時に、紹介の労をった私の友人が、「この男は小説家ですから、何か面白い話があった時には、聞かせてやって下さい。」と頼んだのを思い出した。また、それがないにしても、その時にはもう私も、いつか子爵の懐古的な詠歎えいたんに釣りこまれて、出来るなら今にも子爵と二人で、過去の霧の中に隠れている「一等煉瓦レンガ」の繁華な市街へ、馬車を駆りたいとさえ思っていた。そこで私は頭を下げながら、喜んで「どうぞ」と相手を促した。
「じゃあすこへ行きましょう。」
 子爵のことばにつれて我々は、陳列室のまん中に据えてあるベンチへ行って、一しょに腰を下ろした。室内にはもう一人も人影は見えなかった。ただ、周囲には多くの硝子戸棚ガラスとだなが、曇天のつめたい光の中に、古色を帯びた銅版画や浮世絵を寂然じゃくねんと懸け並べていた。本多子爵は杖の銀の握りにあごをのせて、しばらくはじっとこの子爵自身の「記憶」のような陳列室を見渡していたが、やがて眼を私の方に転じると、沈んだ声でこう語り出した。
「その友だちと云うのは、三浦直樹みうらなおきと云う男で、わたし仏蘭西フランスから帰って来る船の中で、偶然近づきになったのです。年は私と同じ二十五でしたが、あの芳年よしとしの菊五郎のように、色の白い、細面ほそおもての、長い髪をまん中から割った、いかにも明治初期の文明が人間になったような紳士でした。それが長い航海の間に、いつとなく私と懇意になって、帰朝後も互に一週間とは訪問をやした事がないくらい、親しい仲になったのです。
「三浦の親は何でも下谷したやあたりの大地主で、彼が仏蘭西フランスへ渡ると同時に、二人とも前後して歿くなったとか云う事でしたから、その一人息子だった彼は、当時もう相当な資産家になっていたのでしょう。私が知ってからの彼の生活は、ほんの御役目だけ第×銀行へ出るほかは、いつも懐手ふところでをして遊んでいられると云う、至極結構な身分だったのです。ですから彼は帰朝すると間もなく、親の代から住んでいる両国百本杭りょうごくひゃっぽんぐいの近くの邸宅に、気のいた西洋風の書斎を新築して、かなり贅沢ぜいたくな暮しをしていました。
「私はこう云っている中にも、向うの銅板画の一枚を見るように、その部屋の有様が歴々ありありと眼の前へ浮んで来ます。大川に臨んだ仏蘭西窓、へりに金を入れた白い天井てんじょう、赤いモロッコ皮の椅子いすや長椅子、壁にかっているナポレオン一世の肖像画、彫刻ほりのある黒檀こくたんの大きな書棚、鏡のついた大理石の煖炉だんろ、それからその上に載っている父親の遺愛の松の盆栽――すべてがある古い新しさを感じさせる、陰気なくらいけばけばしい、もう一つ形容すれば、どこか調子の狂った楽器のを思い出させる、やはりあの時代らしい書斎でした。しかもそう云う周囲の中に、三浦みうらはいつもナポレオン一世の下に陣取りながら、結城揃ゆうきぞろいか何かの襟を重ねて、ユウゴオのオリアンタアルでも読んで居ようと云うのですから、いよいよあすこに並べてある銅板画にでもありそうな光景です。そう云えばあの仏蘭西窓の外をふさいで、時々大きな白帆が通りすぎるのも、何となくもの珍しい心もちで眺めた覚えがありましたっけ。
「三浦は贅沢ぜいたくな暮しをしているといっても、同年輩の青年のように、新橋しんばしとか柳橋やなぎばしとか云う遊里に足を踏み入れる気色けしきもなく、ただ、毎日この新築の書斎に閉じこもって、銀行家と云うよりは若隠居にでもふさわしそうな読書三昧ざんまいに耽っていたのです。これは勿論一つには、彼の蒲柳ほりゅうの体質が一切いっさいの不摂生を許さなかったからもありましょうが、また一つには彼の性情が、どちらかと云うと唯物的な当時の風潮とは正反対に、人一倍純粋な理想的傾向を帯びていたので、自然と孤独に甘んじるような境涯に置かれてしまったのでしょう。実際模範的な開化の紳士だった三浦が、多少彼の時代と色彩を異にしていたのは、この理想的な性情だけで、ここへ来ると彼はむしろ、もう一時代前の政治的夢想家に似通にかよっている所があったようです。

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