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或日の大石内蔵助(あるひのおおいしくらのすけ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-12 7:23:18  点击:  切换到繁體中文


 忠左衛門も、かたわらから口をはさんだ。
「面白い話――と申しますと……」
「江戸中で仇討あだうちの真似事が流行はやると云う、あの話でございます。」
 藤左衛門は、こう云って、伝右衛門と内蔵助くらのすけとを、にこにこしながら、等分に見比べた。
「はあ、いや、あの話でございますか。人情と云うものは、実に妙なものでございます。御一同の忠義に感じると、町人百姓までそう云う真似がして見たくなるのでございましょう。これで、どのくらいじだらくな上下じょうげの風俗が、改まるかわかりません。やれ浄瑠璃じょうるりの、やれ歌舞伎のと、見たくもないものばかり流行はやっている時でございますから、丁度よろしゅうございます。」
 会話の進行は、また内蔵助にとって、面白くない方向へ進むらしい。そこで、彼は、わざと重々しい調子で、卑下ひげの辞を述べながら、たくみにその方向を転換しようとした。
「手前たちの忠義をおめ下さるのは難有ありがたいが、手前一人ひとりの量見では、お恥しい方が先に立ちます。」
 こう云って、一座を眺めながら、
「何故かと申しますと、赤穂一藩に人も多い中で、御覧の通りここに居りまするものは、皆小身者しょうしんものばかりでございます。もっとも最初は、奥野将監おくのしょうげんなどと申す番頭ばんがしらも、何かと相談にのったものでございますが、中ごろから量見を変え、ついに同盟を脱しましたのは、心外と申すよりほかはございません。そのほか、新藤源四郎しんどうげんしろう河村伝兵衛かわむらでんびょうえ小山源五左衛門こやまげんござえもんなどは、原惣右衛門より上席でございますし、佐々小左衛門ささこざえもんなども、吉田忠左衛門より身分は上でございますが、皆一挙が近づくにつれて、変心致しました。その中には、手前の親族の者もございます。して見ればお恥しい気のするのも無理はございますまい。」
 一座の空気は、内蔵助のこのことばと共に、今までの陽気さをなくなして、急に真面目まじめな調子を帯びた。この意味で、会話は、彼の意図通り、方向を転換したと云っても差支えない。が、転換した方向が、果して内蔵助にとって、愉快なものだったかどうかは、おのずからまた別な問題である。
 彼の述懐を聞くと、まず早水藤左衛門は、両手にこしらえていた拳骨げんこつを、二三度膝の上にこすりながら、
彼奴等きゃつらは皆、揃いも揃った人畜生にんちくしょうばかりですな。一人として、武士の風上かざかみにも置けるような奴は居りません。」
「さようさ。それも高田群兵衛たかたぐんべえなどになると、畜生より劣っていますて。」
 忠左衛門は、眉をあげて、賛同を求めるように、堀部弥兵衛を見た。慷慨家こうがいかの弥兵衛は、もとより黙っていない。
「引き上げの朝、彼奴きゃつった時には、唾を吐きかけても飽き足らぬと思いました。何しろのめのめと我々の前へつらをさらした上に、御本望ほんもうを遂げられ、大慶の至りなどと云うのですからな。」
「高田も高田じゃが、小山田庄左衛門おやまだしょうざえもんなどもしようのないたわけ者じゃ。」
 間瀬久太夫が、誰に云うともなくこう云うと、原惣右衛門や小野寺十内も、やはり口をひとしくして、背盟はいめいの徒を罵りはじめた。寡黙な間喜兵衛でさえ、口こそきかないが、白髪しらが頭をうなずかせて、一同の意見に賛同の意を表した事は、度々どどある。
「何に致せ、御一同のような忠臣と、一つ藩に、さようなやからろうとは、考えられも致しませんな。さればこそ、武士はもとより、町人百姓まで、犬侍いぬざむらい禄盗人ろくぬすびとのと悪口あっこうを申してるようでございます。岡林杢之助おかばやしもくのすけ殿なども、昨年切腹こそ致されたが、やはり親類縁者が申し合せて、詰腹つめばらを斬らせたのだなどと云う風評がございました。またよしんばそうでないにしても、かような場合に立ち至って見れば、その汚名も受けずにはられますまい。まして、余人は猶更なおさらの事でございます。これは、仇討あだうちの真似事を致すほど、義に勇みやすい江戸の事と申し、かつはかねがね御一同の御憤おいきどおりもある事と申し、さような輩を斬ってすてるものが出ないとも、限りませんな。」
 伝右衛門は、他人事ひとごととは思われないような容子ようすで、昂然とこう云い放った。この分では、誰よりも彼自身が、その斬り捨ての任に当り兼ねない勢いである。これに煽動せんどうされた吉田、原、早水、堀部などは、皆一種の興奮を感じたように、いよいよ手ひどく、乱臣賊子を罵殺ばさつしにかかった。――が、その中にただ一人、大石内蔵助だけは、両手を膝の上にのせたまま、いよいよつまらなそうな顔をして、だんだん口数をへらしながら、ぼんやり火鉢の中を眺めている。
 彼は、彼の転換した方面へ会話が進行した結果、変心した故朋輩の代価で、彼等の忠義がますますめそやされていると云う、新しい事実を発見した。そうして、それと共に、彼の胸底を吹いていた春風は、再び幾分のぬくもりを減却した。勿論彼が背盟の徒のために惜んだのは、単に会話の方向を転じたかったためばかりではない、彼としては、実際彼等の変心を遺憾とも不快とも思っていた。が、彼はそれらの不忠の侍をも、憐みこそすれ、憎いとは思っていない。人情の向背こうはいも、世故せこの転変も、つぶさに味って来た彼のまなこから見れば、彼等の変心の多くは、自然すぎるほど自然であった。もし真率しんそつと云うことばが許されるとすれば、気の毒なくらい真率であった。従って、彼は彼等に対しても、終始寛容の態度を改めなかった。まして、復讐の事の成った今になって見れば、彼等に与う可きものは、ただ憫笑びんしょうが残っているだけである。それを世間は、殺しても猶飽き足らないように、思っているらしい。何故我々を忠義の士とするためには、彼等を人畜生にんちくしょうとしなければならないのであろう。我々と彼等との差は、存外大きなものではない。――江戸の町人に与えた妙な影響を、前に快からず思った内蔵助くらのすけは、それとはややちがった意味で、今度は背盟の徒が蒙った影響を、伝右衛門によって代表された、天下の公論の中に看取した。彼が苦い顔をしたのも、決して偶然ではない。
 しかし、内蔵助の不快は、まだこの上に、最後の仕上げを受ける運命を持っていた。
 彼の無言でいるのを見た伝右衛門は、大方おおかたそれを彼らしい謙譲な心もちの結果とでも、推測したのであろう。いよいよ彼の人柄に敬服した。その敬服さ加減を披瀝ひれきするために、この朴直な肥後侍ひござむらいは、無理に話頭を一転すると、たちまち内蔵助の忠義に対する、盛な歎賞の辞をならべはじめた。
「過日もさる物識りから承りましたが、唐土もろこしの何とやら申す侍は、炭を呑んでおしになってまでも、主人のあだをつけ狙ったそうでございますな。しかし、それは内蔵助殿のように、心にもない放埓ほうらつをつくされるよりは、まだまだ苦しくないほうではございますまいか。」
 伝右衛門は、こう云う前置きをして、それから、内蔵助が濫行らんこうを尽した一年前の逸聞いつぶんを、長々としゃべり出した。高尾たかお愛宕あたごの紅葉狩も、佯狂ようきょうの彼には、どのくらいつらかった事であろう。島原しまばら祇園ぎおんの花見のえんも、苦肉の計に耽っている彼には、苦しかったのに相違ない。……
「承れば、その頃京都では、大石かるくて張抜石はりぬきいしなどと申す唄も、流行はやりました由を聞き及びました。それほどまでに、天下を欺きおおせるのは、よくよくの事でなければ出来ますまい。先頃天野弥左衛門あまのやざえもん様が、沈勇だと御賞美になったのも、至極道理な事でございます。」
「いや、それほど何も、大した事ではございません。」内蔵助は、不承不承ふしょうぶしょうに答えた。
 その人にたかぶらない態度が、伝右衛門にとっては、物足りないと同時に、一層の奥床しさを感じさせたと見えて、今まで内蔵助の方を向いていた彼は、永年京都勤番きんばんをつとめていた小野寺十内の方へ向きを換えると、ますます、熱心に推服の意をもらし始めた。その子供らしい熱心さが、一党の中でも通人の名の高い十内には、可笑おかしいと同時に、可愛かわいかったのであろう。彼は、素直すなおに伝右衛門の意をむかえて、当時内蔵助が仇家きゅうか細作さいさくを欺くために、法衣ころもをまとって升屋ますや夕霧ゆうぎりのもとへ通いつめた話を、事明細に話して聞かせた。
「あの通り真面目な顔をしている内蔵助くらのすけが、当時は里げしきと申す唄を作った事もございました。それがまた、中々評判で、くるわ中どこでもうたわなかった所は、なかったくらいでございます。そこへ当時の内蔵助の風俗が、墨染の法衣姿ころもすがたで、あの祇園の桜がちる中を、うきさま浮さまとそやされながら、酔って歩くと云うのでございましょう。里げしきの唄が流行はやったり、内蔵助の濫行も名高くなったりしたのは、少しも無理はございません。何しろ夕霧と云い、浮橋うきはしと云い、島原や撞木町しゅもくまちの名高い太夫たゆうたちでも、内蔵助と云えば、下にも置かぬように扱うと云う騒ぎでございましたから。」
 内蔵助は、こう云う十内の話を、殆ど侮蔑されたような心もちで、苦々にがにがしく聞いていた。と同時にまた、昔の放埓ほうらつの記憶を、思い出すともなく思い出した。それは、彼にとっては、不思議なほど色彩のあざやかな記憶である。彼はその思い出の中に、長蝋燭ながろうそくの光を見、伽羅きゃらの油の匂を嗅ぎ、加賀節かがぶしの三味線のを聞いた。いや、今十内が云った里げしきの「さすが涙のばらばら袖に、こぼれて袖に、露のよすがのうきつとめ」と云う文句さえ、春宮しゅんきゅうの中からぬけ出したような、夕霧や浮橋のなまめかしい姿と共に、歴々と心中に浮んで来た。如何に彼は、この記憶の中に出没するあらゆる放埓の生活を、思い切って受用した事であろう。そうしてまた、如何に彼は、その放埓の生活の中に、復讐の挙を全然忘却した駘蕩たいとうたる瞬間を、味った事であろう。彼はおのれを欺いて、この事実を否定するには、余りに正直な人間であった。勿論この事実が不道徳なものだなどと云う事も、人間性に明な彼にとって、夢想さえ出来ない所である。従って、彼の放埓のすべてを、彼の忠義を尽す手段として激賞されるのは、不快であると共に、うしろめたい。
 こう考えている内蔵助が、その所謂いわゆる佯狂苦肉ようきょうくにくの計をめられて、にがい顔をしたのに不思議はない。彼は、再度の打撃をうけて僅に残っていた胸間の春風しゅんぷうが、見る見る中に吹きつくしてしまった事を意識した。あとに残っているのは、一切の誤解に対する反感と、その誤解を予想しなかった彼自身の愚に対する反感とが、うすら寒く影をひろげているばかりである。彼の復讐の挙も、彼の同志も、最後にまた彼自身も、多分このまま、勝手な賞讃の声と共に、後代まで伝えられる事であろう。――こう云う不快な事実と向いあいながら、彼は火の気のうすくなった火鉢に手をかざすと、伝右衛門の眼をさけて、情なさそうにため息をした。

       ―――――――――――――――――――――――――

 それから何分かののちである。かわやへ行くのにかこつけて、座をはずして来た大石内蔵助は、独り縁側の柱によりかかって、寒梅の老木が、古庭のこけと石との間に、※(「白+轢のつくり」、第3水準1-88-69)てきれきたる花をつけたのを眺めていた。日の色はもううすれ切って、植込みの竹のかげからは、早くも黄昏たそがれがひろがろうとするらしい。が、障子の中では、不相変あいかわらず面白そうな話声がつづいている。彼はそれを聞いている中に、おのずからな一味の哀情が、おもむろに彼をつつんで来るのを意識した。このかすかな梅の匂につれて、さえ返る心の底へしみ透って来る寂しさは、この云いようのない寂しさは、一体どこから来るのであろう。――内蔵助は、青空に象嵌ぞうがんをしたような、堅くつめたい花を仰ぎながら、いつまでもじっとたたずんでいた。

(大正六年八月十五日)




 



底本:「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年10月28日第1刷発行
   1996(平成8)年7月15日第11刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:野口英司
校正:もりみつじゅんじ
1997年11月17日公開
2004年3月7日修正
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