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或日の大石内蔵助(あるひのおおいしくらのすけ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-12 7:23:18  点击:  切换到繁體中文

底本: 芥川龍之介全集2
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1986(昭和61)年10月28日
入力に使用: 1996(平成8)年7月15日第11刷


底本の親本: 筑摩全集類聚版芥川龍之介全集
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月

 

立てきった障子しょうじにはうららかな日の光がさして、嵯峨さがたる老木の梅の影が、何間なんげんかのあかるみを、右の端から左の端まで画の如くあざやかに領している。元浅野内匠頭あさのたくみのかみ家来、当時細川家ほそかわけに御預り中の大石内蔵助良雄おおいしくらのすけよしかつは、その障子をうしろにして、端然と膝を重ねたまま、さっきから書見に余念がない。書物は恐らく、細川家の家臣の一人が借してくれた三国誌の中の一冊であろう。
 九人一つ座敷にいるうちで、片岡源五右衛門かたおかげんごえもんは、今し方かわやへ立った。早水藤左衛門はやみとうざえもんは、しもへ話しに行って、いまだにここへ帰らない。あとには、吉田忠左衛門よしだちゅうざえもん原惣右衛門はらそうえもん間瀬久太夫ませきゅうだゆう小野寺十内おのでらじゅうない堀部弥兵衛ほりべやへえ間喜兵衛はざまきへえの六人が、障子にさしている日影も忘れたように、あるいは書見にふけったり、あるいは消息をしたためたりしている。その六人が六人とも、五十歳以上の老人ばかり揃っていたせいか、まだ春の浅い座敷の中は、肌寒いばかりにものしずかである。時たま、しわぶきの声をさせるものがあっても、それは、かすかにただよっている墨のにおいを動かすほどの音さえ立てない。
 内蔵助くらのすけは、ふと眼を三国誌からはなして、遠い所を見るような眼をしながら、静に手をかたわらの火鉢の上にかざした。金網かなあみをかけた火鉢の中には、いけてある炭の底に、うつくしい赤いものが、かんがりと灰を照らしている。その火気を感じると、内蔵助の心には、安らかな満足の情が、今更のようにあふれて来た。丁度、去年の極月ごくげつ十五日に、亡君のあだを復して、泉岳寺せんがくじへ引上げた時、彼みずから「あらたのし思いははるる身はすつる、うきよの月にかかる雲なし」と詠じた、その時の満足が帰って来たのである。
 赤穂あこうの城を退去して以来、二年に近い月日を、如何いかに彼は焦慮と画策かくさくとのうちに、ついやした事であろう。ややもすればはやり勝ちな、一党の客気かっき控制こうせいして、おもむろに機の熟するのを待っただけでも、並大抵なみたいていな骨折りではない。しかも讐家しゅうかの放った細作さいさくは、絶えず彼の身辺をうかがっている。彼は放埓ほうらつを装って、これらの細作の眼を欺くと共に、併せてまた、その放埓に欺かれた同志の疑惑をも解かなければならなかった。山科やましな円山まるやまの謀議の昔を思い返せば、当時の苦衷が再び心の中によみ返って来る。――しかし、もうすべては行く処へ行きついた。
 もし、まだ片のつかないものがあるとすれば、それは一党四十七人に対する、公儀こうぎ御沙汰ごさただけである。が、その御沙汰があるのも、いずれ遠い事ではないのに違いない。そうだ。すべては行く処へ行きついた。それも単に、復讐の挙が成就じょうじゅしたと云うばかりではない。すべてが、彼の道徳上の要求と、ほとんど完全に一致するような形式で成就した。彼は、事業を完成した満足を味ったばかりでなく、道徳を体現した満足をも、同時に味う事が出来たのである。しかも、その満足は、復讐の目的から考えても、手段から考えても、良心のやましさに曇らされる所は少しもない。彼として、これ以上の満足があり得ようか。……
 こう思いながら、内蔵助くらのすけは眉をのべて、これも書見にんだのか、書物を伏せた膝の上へ、指で手習いをしていた吉田忠左衛門に、火鉢のこちらから声をかけた。
今日きょうは余程暖いようですな。」
「さようでございます。こうして居りましても、どうかすると、あまり暖いので、睡気ねむけがさしそうでなりません。」
 内蔵助は微笑した。この正月の元旦に、富森助右衛門とみのもりすけえもんが、三杯の屠蘇とそに酔って、「今日も春恥しからぬ寝武士かな」と吟じた、その句がふと念頭に浮んだからである。句意も、良雄よしかつが今感じている満足と変りはない。
「やはり本意をげたと云う、気のゆるみがあるのでございましょう。」
「さようさ。それもありましょう。」
 忠左衛門は、手もとの煙管きせるをとり上げて、つつましく一服の煙を味った。煙は、早春の午後をわずかにくゆらせながら、明い静かさの中に、うす青く消えてしまう。
「こう云うのどかな日を送る事があろうとは、お互に思いがけなかった事ですからな。」
「さようでございます。手前も二度と、春に逢おうなどとは、夢にも存じませんでした。」
「我々は、よくよく運のよいものと見えますな。」
 二人は、満足そうに、眼で笑い合った。――もしこの時、良雄のうしろの障子に、影法師が一つ映らなかったなら、そうして、その影法師が、障子の引手ひきてへ手をかけると共に消えて、その代りに、早水藤左衛門の逞しい姿が、座敷の中へはいって来なかったなら、良雄はいつまでも、快い春の日の暖さを、その誇らかな満足の情と共に、味わう事が出来たのであろう。が、現実は、血色の良い藤左衛門の両頬に浮んでいる、ゆたかな微笑と共に、遠慮なく二人の間へはいって来た。が、彼等は、勿論それには気がつかない。
大分だいぶしもは、賑かなようですな。」
 忠左衛門は、こう云いながら、また煙草たばこを一服吸いつけた。
「今日の当番は、伝右衛門でんえもん殿ですから、それで余計話がはずむのでしょう。片岡なども、今し方あちらへ参って、そのまま坐りこんでしまいました。」
「道理こそ、遅いと思いましたよ。」
 忠左衛門は、煙にむせて、苦しそうに笑った。すると、しきりに筆を走らせていた小野寺十内が、何かと思った気色けしきで、ちょいと顔をあげたが、すぐまた眼を紙へ落して、せっせとあとを書き始める。これは恐らく、京都の妻女へ送る消息でも、したためていたものであろう。――内蔵助も、まなじりしわを深くして、笑いながら、
「何か面白い話でもありましたか。」
「いえ。不相変あいかわらずの無駄話ばかりでございます。もっとも先刻、近松ちかまつ甚三郎じんざぶろうの話を致した時には、伝右衛門殿なぞも、眼に涙をためて、聞いて居られましたが、そのほかは――いや、そう云えば、面白い話がございました。我々が吉良きら殿を討取って以来、江戸中に何かと仇討あだうちじみた事が流行はやるそうでございます。」
「ははあ、それは思いもよりませんな。」
 忠左衛門は、けげんな顔をして、藤左衛門を見た。相手は、この話をして聞かせるのが、何故なぜか非常に得意らしい。
「今も似よりの話を二つ三つ聞いて来ましたが、中でも可笑おかしかったのは、南八丁堀みなみはっちょうぼり湊町みなとちょう辺にあった話です。何でも事の起りは、あの界隈かいわいの米屋の亭主が、風呂屋で、隣同志の紺屋の職人と喧嘩をしたのですな。どうせ起りは、湯がはねかったとか何とか云う、つまらない事からなのでしょう。そうして、その揚句あげくに米屋の亭主の方が、紺屋の職人に桶で散々なぐられたのだそうです。すると、米屋の丁稚でっちが一人、それを遺恨に思って、暮方くれがたその職人の外へ出る所を待伏せて、いきなりかぎを向うの肩へ打ちこんだと云うじゃありませんか。それも「主人のかたき、思い知れ」と云いながら、やったのだそうです。……」
 藤左衛門は、手真似をしながら、笑い笑い、こう云った。
「それはまた乱暴至極ですな。」
「職人の方は、大怪我おおけがをしたようです。それでも、近所の評判は、その丁稚でっちの方がいと云うのだから、不思議でしょう。そのほかまだその通町とおりちょう三丁目にも一つ、新麹町しんこうじまちの二丁目にも一つ、それから、もう一つはどこでしたかな。とにかく、諸方にあるそうです。それが皆、我々の真似だそうだから、可笑おかしいじゃありませんか。」
 藤左衛門と忠左衛門とは、顔を見合せて、笑った。復讐の挙が江戸の人心に与えた影響を耳にするのは、どんな些事さじにしても、快いに相違ない。ただ一人内蔵助くらのすけだけは、僅に額へ手を加えたまま、つまらなそうな顔をして、黙っている。――藤左衛門の話は、彼の心の満足に、かすかながら妙な曇りを落させた。と云っても、勿論彼が、彼のした行為のあらゆる結果に、責任を持つ気でいた訳ではない。彼等が復讐の挙を果して以来、江戸中に仇討が流行した所で、それはもとより彼の良心と風馬牛ふうばぎゅうなのが当然である。しかし、それにも関らず、彼の心からは、今までの春のぬくもりが、幾分か減却したような感じがあった。
 事実を云えば、その時の彼は、単に自分たちのした事の影響が、意外な所まで波動したのに、いささか驚いただけなのである。が、ふだんの彼なら、藤左衛門や忠左衛門と共に、笑ってすませる筈のこの事実が、その時の満足しきった彼の心には、ふと不快な種をく事になった。これは恐らく、彼の満足が、暗々のうちに論理と背馳はいちして、彼の行為とその結果のすべてとを肯定するほど、虫の好い性質を帯びていたからであろう。勿論当時の彼の心には、こう云う解剖的かいぼうてきな考えは、少しもはいって来なかった。彼はただ、春風しゅんぷうの底に一脈の氷冷ひれいの気を感じて、何となく不愉快になっただけである。
 しかし、内蔵助くらのすけの笑わなかったのは、格別二人の注意を惹かなかったらしい。いや、人の好い藤左衛門の如きは、彼自身にとってこの話が興味あるように、内蔵助にとっても興味があるものと確信して疑わなかったのであろう。それでなければ、彼は、更に自身しもへ赴いて、当日の当直だった細川家の家来、堀内伝右衛門を、わざわざこちらへつれて来などはしなかったのに相違ない。所が、万事にまめな彼は、忠左衛門をかえりみて、「伝右衛門殿をよんで来ましょう。」とか何とか云うと、早速隔てのふすまをあけて、気軽く下の間へ出向いて行った。そうして、ほどなく、見た所から無骨ぶこつらしい伝右衛門を伴なって、不相変あいかわらずの微笑をたたえながら、得々とくとくとして帰って来た。
「いや、これは、とんだ御足労を願って恐縮でございますな。」
 忠左衛門は、伝右衛門の姿を見ると、良雄よしかつに代って、微笑しながらこう云った。伝右衛門の素朴で、真率しんそつな性格は、お預けになって以来、つとに彼と彼等との間を、故旧こきゅうのような温情でつないでいたからである。
早水氏はやみうじが是非こちらへ参れと云われるので、御邪魔とは思いながら、まかり出ました。」
 伝右衛門は、座につくと、太い眉毛を動かしながら、日にやけた頬の筋肉を、今にも笑い出しそうに動かして、万遍なく一座を見廻した。これにつれて、書物を読んでいたのも、筆を動かしていたのも、皆それぞれ挨拶あいさつをする。内蔵助もやはり、慇懃いんぎんに会釈をした。ただその中でいささか滑稽の観があったのは、読みかけた太平記を前に置いて、眼鏡をかけたまま、居眠りをしていた堀部弥兵衛が、眼をさますが早いか、慌ててその眼鏡をはずして、丁寧に頭を下げた容子ようすである。これにはさすがな間喜兵衛も、よくよく可笑おかしかったものと見えて、かたわら衝立ついたての方を向きながら、苦しそうな顔をして笑をこらえていた。
「伝右衛門殿も老人はお嫌いだと見えて、とかくこちらへはおいでになりませんな。」
 内蔵助は、いつに似合わない、なめらかな調子で、こう云った。幾分か乱されはしたものの、まだ彼の胸底には、さっきの満足の情が、暖く流れていたからであろう。
「いや、そう云う訳ではございませんが、何かとあちらの方々かたがたに引とめられて、ついそのまま、話しこんでしまうのでございます。」
「今もうけたまわれば、大分だいぶ面白い話が出たようでございますな。」

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