数多の文人、歌人が来訪
上高地への登山口近く、梓川支流の湯川の谷あいにわく白骨温泉は、古くは白船、白舟と書かれ、「しらふね」と呼ばれていた。白骨と書かれるようになったのは、中里介山の長編小説『大菩薩峠』の影響が大きいとされている。
小説の中の「白骨の巻」で白骨温泉を訪れる主人公机龍之助の行動が詳しく記される。
しかし、江戸時代の古い絵図に「白骨」の字が記入されてあるといい、明治33年発行の吉田東伍『大日本地名辞書』には「白骨の温泉、白船の湯とも云ふ」と両方が記されているので、かなり古くから2つが用いられていたものであろう。介山の小説によって、その後「白骨温泉」が主に使われるようになった。
大正期から昭和前期にかけて、介山をはじめ、若山牧水、斎藤茂吉、幸田露伴、与謝野晶子など、数多くの文人、歌人が訪れて、各方面に文を残し、白骨の人気を高めている。老舗の湯元斉藤旅館には、それらの訪泉の歴史が刻まれ、書画の数々も残されている。客室棟には介山荘、牧水荘などの名を付けている。
湯は硫黄泉(単純硫化水素泉)、48~52度。白濁した湯は豊富に湧出(ゆうしゅつ)し、各宿で内湯、露天風呂を設けている。神経痛、リウマチ、腰痛など一般的効能に加えて、最近ではアトピー性皮膚炎などにも効果が高いことが知られてきた。渓谷に面した公共野天風呂を見下ろし、右手の山あいへ登った白船荘新宅旅館の露天風呂を楽しんだ。まだ春の雪がまわりを埋めていた。
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