忠犬ハチ公のご主人は、農業土木学会賞「上野賞」の上野英三郎先生です。
ハチ公のご主人、上野英三郎先生(三重県出身)は、明治28年に東京農科大学農学科を卒業され、大学院を経て東京帝国大学に勤められながら、農商務省、内務省を兼務されて、耕地整理、土地改良事業の計画に参与されました。
先生の功績の第一は、「耕地整理法」の実施とその技術者の養成が上げられます。
教育関係では、まず東京帝国大学に農業土木の専修コースを創設され、これが現在の東京大学の農業工学科のルーツとなっています。
教育者としてだけでなく,農商務省技師としての行政的手腕も大いに発揮され,河川改修,治水事業,産米増殖計画など多方面に活躍されました。
先生は、大正14年5月に亡くなられました。ご遺骨は三重県の上野家累代の墓に埋葬されましたが、東京青山墓地にも分骨が埋蔵されています。
今でもご命日には毎年門下生が墓参し、この墓地の管理を現在は農業土木学会が引受けています。
農業土木学会では、先生のご遺徳を偲び、門下生や会員から募金を行い、学会賞の一つに「上野賞」を設け、昭和46年度から農業土木事業の発展に尽くした事業に授与しています。
ハチ公は,大正12年秋田県大館で生まれた純粋の秋田犬です。
大正13年の正月早々から、近代農業土木の祖といわれる上野先生に飼れることになりました。
先生には、子供さんが無かったこともあって、ハチ公を大変かわいがられ、ハチ公は先生の温情を一心に受け止めました。
でも、上野先生は、ハチ公がやっと2才になる前に突然、駒場の教室で亡くなられてしまったのです。ハチ公と先生のおつき合いはわずか17カ月間でした。
ハチ公は、先生が亡くなられたことを全く何も知らなかった様子だったそうです。
ハチ公は、先生が亡くなられても、雨の日も風の日も、毎日毎日、渋谷駅前で先生が帰って来られるのを待ち続けていました。
先生を慕うハチ公の一途な姿は、人々に深い感銘を与え、忠犬と呼ばれるようになりました。
昭和7年10月4日の朝日新聞に「いとしや老犬物語」という大きな記事が載ったのがキッカケです。ハチ公が一躍有名になりました。新聞には以下のような記事が載っていました。「いとしや老犬物語 今は亡き主人の帰りを待ちかねる7年間 東横電車の渋谷駅、朝夕真っ黒な乗降客の間に混じって人待ち顔の老犬がある。」
一躍有名になった「忠犬ハチ公」を讃える銅像が渋谷駅前に作られました。ハチ公も除幕式に出席しています。
「ハチ公の夕べ」も催されました。大変お世話になった吉川渋谷駅駅長さんといっしょにハチ公もステージにあがりました。いっぱいの観客席から大喝采を浴びたそうです。
ハチ公は昭和10年3月8日、11歳余りで一生を閉じました。
数日後、ハチ公は渋谷駅で待ち続けたご主人、上野先生の御墓(青山墓地)に寄り添うようにハチ公の碑として分骨が埋葬されました。
現在でも、ハチ公の亡骸はハク製として上野の科学博物館に保存されています。
http://www.jsidre.or.jp/hachi/hachi-ex.html
(いつまでも、信、義、忠、勇、廉を忘れることないように!)
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