放浪作家もぞっこん 永住決意
奥入瀬(おいらせ)渓流を抜け、十和田樹海と呼ばれるうっそうたるブナの原生林をくぐると、樹海の真っ只(ただ)中に浮かぶようにして蔦温泉が姿を現す。
十和田湖は、明治・大正期にその華麗な文体で一世を風靡(ふうび)した土佐出身の文人、大町桂月が世に送り出した秘湖であったが、同時に桂月はブナの原生林に囲まれた蔦温泉にもぞっこんだった。本籍を蔦に移し永住を決意するほどであった。
蔦温泉旅館の方でも、酒と旅を愛した放浪の作家のために離れの仕事場「余材庵」の建設に着手するが、その完成を見ず大正14年(1925)、辞世の歌を遺(のこ)して56歳の生涯を閉じる。
「極楽に越ゆる峠のひと休み 蔦の出で湯に身をば清めて」
桂月が逗留(とうりゅう)した当時のままの本館は大正7年築。ブナやトチの木を使った建物で、破風(はふ)の正面入り口は凛(りん)とした威風を漂わせている。
昔ながらの帳場の前の磨き込まれた廊下を右手に進むと、「久安(きゅうあん)の湯」がある。ヒバ造りの浴舎は建て替えられたものだが、湯は桂月が惚(ほ)れ込んだ時のままだ。いや、久安3年(1147)に蔦温泉が発見された時のままのものに違いない。
湯船の底のブナ板の間から、その湯が湯玉となって湧(わ)き上がってくる。ふつふつ湧いてくる湯玉に身体がふわ~っと浮くのである。今日び、蔦のように露天風呂無しで客を満足させられる宿は珍しい。
(松田忠徳・札幌国際大教授) |