元和2年(1616)駿府で徳川家康が没し、その遺骸を久能山から日光山へ移す途中、天海僧正によって喜多院で四日間の法要が営まれました。その後、日光山へと遺骸は運ばれ、東照宮に祭られたのです。天海僧正は寛永10年(1633)年、喜多院の境内に東照宮(仙波東照宮)を建立しました。
それから5年後の寛永15年(1638)川越城下は火の海に包まれます。「寛永の大火」と呼ばれるこの大火事で、喜多院は山門を残し、ほぼ全焼。東照宮も焼け落ちました。しかし、大火後直後、徳川家光より喜多院復興の命が下ると、まず東照宮の再建が行われたといい、寛永17年(1640)に完成しました。
本殿や拝殿の周りにある石灯籠には、歴代城主の銘が刻まれています。歴代城主がそれぞれ奉納したものですが、江戸幕府の重臣であった川越城主の名前を見ると、歴史の重みを感じさせてくれます。また、所蔵の文化財として、国の重要文化財に指定されている「三十六歌仙絵額」、県指定文化財の「鷹絵額」が広く知られています。 |