日本の真上に常に飛んでいる測位衛星があれば,数cmの誤差で自分の位置を測ることができるのに――。こんな考えから検討が進んでいる日本の衛星測位システムのプロジェクトが,意外なところで正念場を迎えている。
このシステムで用いる予定の衛星は「準天頂衛星」と呼ばれている。1日に1周回し,赤道面に対して45度傾いた軌道を回る衛星である。地球上から見上げると,日本上空からオーストラリアに至る,巨大な8の字状の軌道を描く。こうした衛星を3機,2010年までに軌道上に打ち上げて,このうちどれかが常に日本上空の仰角の高い位置にあるようにする。そして,この準天頂衛星と米国のGPS衛星を併用することで,誤差の小さい測位を可能にしようというのが,同プロジェクトの概要である。
同プロジェクトの検討は2001年に始まった。それ以来,屋内での測位技術や,誤差がcmオーダーという高精度測位技術などの開発は順調に進んでいる。2003年には世界無線通信会議(WRC-03)において,電波干渉を危惧する中国や韓国などの説得にも成功し,サービスに必要な周波数帯を確保した。まさに順風満帆の勢いだったが,ここにきて1つの課題が持ち上がった。研究開発段階を過ぎ,いよいよ実用に移るにあたって,衛星システムの整備や運用を担当する機関が決まらないのだ。
実用化の遅れが「強み」をすり減らす
なぜこうした問題が起こってしまっているのか。それを理解するには,まず準天頂衛星が備える機能を知る必要がある。
準天頂衛星は,測位を中心として通信や放送の機能も備える。このうち,測位機能はGPSの「補完」と「補強」の2種類に分けて考えられている。ここで補完とは,GPSと同じ無償サービスの部分を指す(現時点での想定)。GPS衛星を単純に追加するイメージだ。これに対して補強は,通常のGPSよりも精度の高い有償の測位サービスを提供する機能を表す(同)。高精度の測位のためにGPSの情報を補正することで精度を高める有償サービスは,ほかの方式でも既に提供されていて,地殻変動の調査や船舶の運航などに使われている。準天頂衛星でいう「補強」の部分は,まさにそうした先例に倣った機能といえる。
準天頂衛星プロジェクトに必要な費用の総額は1700億円と見積もられている。このうち,研究開発の費用である約500億円については,国が主体となって負担することが決まっていて,既に実施されつつある。さらに約800億円は民間側が負担し,放送や通信,測位の補強という有償サービスを行うことで決着している。問題は,残りの約400億円の部分である。これは前述の補完機能の提供に必要な費用分担とされている。しかし,この部分は無償サービスで儲かるわけではなく,民間はカネを出しにくい。官側も緊縮財政と縦割り行政のくびきの中で主管の省庁がどこかも決められずにいる。
実際,2002年12月に公表された「総合科学技術会議が実施する国家的に重要な研究開発の評価」の中では「官民の役割分担及び資金分担について,早急に検討を行い,明確に整理することが必要である」(一部抜粋)と述べられていたのに,2004年1月に総合科学技術会議宇宙開発利用専門調査会がまとめた「我が国における衛星測位システムのあり方について」(中間整理)を読むと,いまだに官民の役割分担が決まらず先送りとなっていることが分かる。
関係する省庁は,経済産業省や国土交通省,総務省,文部科学省など。記者が問い合わせたところ,いずれも「民間も含めてどの機関が担当するのか,現在も検討中」との答えだった。議論がまとまらないのは「公共性の高い無償サービスで,国家の安全保障にもかかわるので国が分担すべき」「国の財政状況が芳しくない上に,今までGPSのようなものを扱う省庁がなかったので,担当省庁を簡単には決められない」といった意見が入り乱れているためだ。「確かに時間がかかりすぎている」(ある省庁の担当者)。
そうして時間が過ぎ去る間に,準天頂衛星が持つ「強み」は徐々に目減りしている。同衛星は日本のほぼ真上にあるので,ビル陰などにも入りにくく,移動体向けの通信や放送に適している。しかし,同じような特徴をうたう競合相手がどんどん増えているからだ。
例えばモバイル放送は,2004年3月に打ち上げられたモバイル放送衛星(MBSAT)を使い,7月に放送を開始する。移動体や屋外での受信に向けたもので,音声や映像を放送する。地上デジタル放送を使った移動体向け放送の準備も進む。測位機能でも,競合が始まる。例えば欧州の「Galileo」。Galileoは民生目的の測位衛星プロジェクトで,2008年の運用開始を予定している。最終的には,現在のGPSの24機より多い30機の衛星を上げ,GPSとの相互運用も可能になるという。測位誤差も現状よりは小さくなろう。
こうした状況を鑑みると,準天頂衛星の打ち上げ時期が大きく遅れれば,その立脚点は失われる可能性さえあるかもしれない。せっかくの技術開発が水泡に帰してしまう。担当が決まらない400億円のうち200億円は,衛星のロケット打ち上げ費用の一部に充当される。各省庁は「打ち上げを取り止める気は全くない」と強調するものの,この部分の担当が決まらないと,現状では何もできないのだ。担当機関は,事業化をにらむ民間側からの強い要請で,2004年1月には決まっているはずだった。しかし,それは今になっても実現していない。2010年の運用開始を目指して2008年に打ち上げを行うには,2004年8月が役割決定の最終期限となる。 |